橋本裕の日記
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2001年05月07日(月) 「問う」ことの大切さ

 アインシュタインは子供の頃、「光と同じ早さで走ったら、世界はどんな風に見えるのだろう」という疑問を持った。彼の「相対性理論」はこの問いに対する解答である。偉大な発見や発明の多くは彼が子供の頃に抱いた素朴な疑問に発している。そして創造的な研究を続けている人は、誰も皆幼子のような純真な目で自然や社会を見つめ、「何故?」と問い続けることを止めない。

 誰しも幼いときは「問う」ことの名人だった。どうして虹ができるのか。どうして空は青いのか。どうして日は朝と晩には赤く色が変わるのか。太陽はどうして燃え尽きてしまわないのか。雲や風はどこからやってくるのか。磁石はどうして北を向いているのか。どうして人間は愛しあわなければならないのか。

 ところが、私たちは学校で、「問う」ことの大切さをあまり学ばない。私たちに要求されるのは、「問い」ではなく、与えられた問いついての「解答」である。問いは発するものではなく、「与えられるもの」だという考えが、日本の学校教育を支配している。

「学問」とは、「学び、そして問うこと」だが、「問うことを学ぶこと」でもある。日本の優秀な学生は「学ぶことの達人」かもしれない。しかし、彼らが同時に「問うことの達人」であるかどうか疑問である。

「学ぶこと」の前に「問うこと」が存在しなければならない。自ら問い、その答えを発見すること、本当の生きた学問はこうした過程の中にある。学生や学者に限らず、私たちも「問うこと」との価値を忘れるべきではない。深く問うことは、深く知ることに通じる。人はその問いの深さに応じた答えを、人生から引き出すことができる。


橋本裕 |MAILHomePage

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