橋本裕の日記
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昨日の朝日新聞の日曜版「出家、だれもが一度は考えた」にはタイの僧侶の清々しい姿が描かれてた。「頭をそって、はだしでゆくと、通りの光景は一変する。人の心のあたたかさに感動」という見出しに惹かれて読み始めた。
タイではだれでも出家できるし、「一度は出家しないと一人前と見なされない」と言われるほど、仏教が人々の心のなかで大切な位置をしめている。これを書いた朝日新聞アジア総局長の宇佐見さんも、実際にタイで得度式をして11日間僧侶生活を体験したのだという。 毎朝3時半に起床。4時から一時間あまりは読経と瞑想。寺の食事は午前7時半からの朝食と、午前11時からの昼食の2回だけ。正午を過ぎて食べることは戒律に反することだそうだ。宇佐見さんは最初の2日間は腹が減ってたまらなかったが、あとは2食で充分だったと書いている。
托鉢をするので、運動不足にはならない。背中をのばして、1時間半ほど歩くと、ジョギング並の運動になると言う。市井の信者は僧侶の人柄を見抜く。若い僧には見向きもしなかった市場の商人たちが、人格者の僧侶には列をなして食べ物やお札、花などを捧げるという。
宇佐見さんも托鉢に歩いたが、単独で出かける最初の乞食のときは冷や冷やしたという。しかし、この日に受けた施しは32品目にもなった。なかでも水撒きをしていた主婦が寄進してくれた20バーツ札は生涯の宝物になりそうだという。
こうした体験記を読みながら、私も又、タイの人々の心の豊かさに感動した。そして托鉢という仏教の基本に忠実なタイの僧侶たちに大いなる共感を覚えた。托鉢を通して見えてくるもの、それは人の心のあたたかいぬくもりに違いない。
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