橋本裕の日記
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2001年05月29日(火) |
年金生活への険しい道 |
29歳で教員になったとき、50歳まで教員を続けて、あとは福井の田舎に隠棲して、文学や哲学を楽しみたいと考えた。その50歳を過ぎて、未だに教員をしているのは、山林が荒廃して、帰るべき田舎がなくなったからだ。家族や老後の自分の生活も考えなければならず、そうかんたんに教員を止められなくなった。
とくに年金を受給するためには、保険料を25年以上支払い続けなければならない。いわゆる「25年の壁」があって、現在22年と1ヶ月の私は、あと3年はがんばる必要がある。生活を考えると、あと5年間、55歳までは仕方がないかなと思う。
ところで、年金の最低支払期間が25年というのは、おそらく日本だけではないだろうか。アメリカは10年、ドイツやイギリスも約10年。カナダやニュージーランドなどは、10年以上居住すれば年金を受ける資格を得ることが出来る。
先日大学の先生と話していたら、「25年の壁はきびしい」と言う。大学院を修了して、何年かオーバードクターをしながら博士号を取り、運良く就職できたとして、すでに30代半ばの人がかなりいる。しかも、どこの大学も経営難で、いつ正規採用の枠からはずされるかわからない。
昔のように終身雇用が保証されている職場は次第に少なくなりつつある。25年に1ヶ月でも満たないと、これまで支払い続けた努力は水泡に帰し、年金が一銭も支給されないというのは、あまりに不合理ではないか。
市役所の窓口でその事実を知らされた男が、逆上して刃傷沙汰に及んだという事件も報道されている。フリーターの増加による、就職年齢の高齢化が予想されるが、43歳を過ぎてから支払いを始めたのでは年金の受給資格は得られない。逆に定職を早めに切り上げて、ボランティア活動に生き甲斐を見いだしたいと考える人たちにも、「25年間の壁」が大きく立ちはだかっている。
現場の窓口になっている市町村は「10年にして、あとは保険料を払った期間に応じた年金を出したらどうか」と短縮を要望してきたが、厚生労働省は拒否の姿勢を崩していないという。国民の郵便貯金や年金は何百兆とある国や地方の借金のカタに取られ、財政投融資や特別会計の原資にとられて、まともな利潤を生みだしていない。放漫な財政政策のつけが、結局は国民生活を貧しいものにしている。年金問題もその一例といえよう。
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