橋本裕の日記
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2001年05月31日(木) |
パール・ハーバーとアメリカの悪夢 |
アメリカでは日本より一足先に夏休みである。そしてディズニー映画「パール・ハーバー」が公開されて話題を呼んでいる。昭和16年12月8日、日曜日の朝を迎えた美しい真珠湾をたちまち地獄絵図に変えたのは、日本海軍の奇襲攻撃隊だった。
この奇襲を決断したのは日本海軍の山本司令長官だが、彼をもっと落胆させたのは奇襲攻撃が宣戦布告と同時ではなかったことだという。駐米日本大使館の不手際により、宣戦布告の通知が遅れ、アメリカをだまし討ちした形になった。
もっとも、アメリカの諜報機関は奇襲作戦を察知しており、ルーズベルト大統領も真珠湾が奇襲されることを知っていたようだ。それでいて彼が太平洋艦隊司令部に情報を与えなかったのは、日本に最初の一撃を加えさせようという政治的配慮からだったという。しかし、さすがルーズベルトもここまで華々しくやられるとは予想しなかっただろう。
真珠湾を奇襲されたことで、アメリカ国民世論が沸騰して、一気に戦争意欲が盛り上がった。アメリカへの宣戦布告と同時に奇襲攻撃による大打撃を加え、アメリカに戦争の遂行を断念させ、早期講和に導くことをねらった山本長官の思惑は完全に裏目に出ることになった。
寝込みを襲われ、プライドを傷つけられたアメリカは、ルーズベルト大統領の指導のもと、徹底的に日本を叩くことを決意した。真珠湾攻撃は軍事作戦的には成功したが、政治的には大敗北だった。
日本はアメリカに勝てる見込みはなかった。日清、日露戦争の勝利はいずれも講和による部分的勝利であり、第三者の仲介による判定勝ちだった。アメリカとの戦争でも、日本は同じシナリオを考えた。日本軍がアメリカ本土を占領することはできないが、初戦で戦果を挙げて、判定勝ちに持ち込みたいと思っていた。
まさか、日本がアメリカに無条件降伏して、国土を敵軍に占領される事態が起ころうとは思っていなかった。ところが、アメリカは多大な犠牲も顧みず、徹底的に反撃に出て、全面的勝利を目指した。アメリカを過小評価した日本の指導者の完全な判断ミスである。
生前ケネディ大統領は「アメリカ人が一番よく覚えている日付は真珠湾攻撃を受けた12月8日だ。自分がその時何をしていたかまで思い出すことが出来る」と語っていた。現在でも年輩のアメリカ人にとって、12月8日は忘れることの出来ない日である。そしてついでもう一つ、忘れがたい日付を上げるとなると、それはケネディ大統領が暗殺された11月22日だという。
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