橋本裕の日記
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2001年06月08日(金) |
ビザンチン帝国長寿の秘密 |
ローマ帝国の衣鉢をついだビザンチン帝国(東ローマ帝国)は、330年にコンスタンティヌス大帝が今日のインスタンプールに首都を定めて以来、1453年にトルコ帝国に滅ぼされるまで、約1000年も続いた。これほど長い間命脈を保った文明は人類史上めずらしい。
このビザンチン帝国には「デモス」といわれる数百人もの役人がいたという。普段彼らは宮廷の中でなにもすることがなかった。ただ、あたらしい皇帝が即位すると、大広間に集められ、衆人環視のなかで、「われらローマ人の皇帝、ばんざい」と歓呼の声をあげる。
古代ローマ帝国では、皇帝は民衆(デモス)に支持されることによって即位することができた。ローマ皇帝の正当性は民衆の支持によって成立する。何か大切な政治的決定をするばあい、皇帝はコロセウムのような大競技場に民衆を集め、民衆に支持をもとめた。民衆の歓呼の声がその支持の証であった。
ビザンチン帝国でも、宮殿の隣りにコロセウムがあった。そして皇帝は民衆の歓呼の声をききに競技場へ赴いたという。ところが、532年、ユスティニアヌス帝が競技場に現れても、民衆は歓呼の声をあげなかった。
こうして不信任をつきつけられた皇帝はどうしたか。彼は腹心の将軍ベリサリウスに命じて、コロセウムに集まった3万人の民衆を虐殺させたのだという。帝国を維持するためには民衆の歓心ばかり買って入られない。ときには不人気な政策も実行しなければならない。皇帝はそう考えて、この挙に出たようだ。そして、このときから、「デモス」という何百人もの役人がやとわれて、民衆の代わりを務めるようになったらしい。
皇帝即位式や特別な政策決定のとき、ただ形式的な歓呼の声をあげさせるためだけに、こんなにも多くの専属の役人を養っていたというのは、何とも不思議な話だが、実はこれもビザンチン帝国が古代ローマ帝国の正当な末裔であることを証するために必要な儀式であった。ビザンチン帝国はこうしたローマ帝国の伝統を形骸化し、巧みに現実に適応することによって、その驚くべき生命力を維持することに成功した。
(参考文献)「なぜ国家は衰亡するのか」(PHP新書 中西輝政著)
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