橋本裕の日記
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2001年06月13日(水) 鯨法会と日本人の心

 山口県長門市仙崎と言えば、江戸時代に日本でも有数の捕鯨基地として栄えた港町だった。記録によると、1845年から1850年までの6年間で78頭もの鯨が捕れたという。

 ところでこの町の寺(向岸寺)には1692年から明治年間まで、捕獲した鯨に人間と同じように法名をつけた鯨の過去帳が残されている。さらに、捕獲した鯨が胎児をもっていたときは、これらを埋葬して建てた鯨基が今も残っているという。

 こうした鯨基は全国に50基を数えるという。しかし、七十数頭もの鯨の胎児を埋葬したところは仙崎より他にないそうだ。しかも、仙崎では今も絶えることなく、鯨法会が行われている。もともと信仰のあつい土地柄だったのだろう。

 詩人の金子みすヾは明治36年、この仙崎村に生まれている。彼女は大正末期にいくつかの詩を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、26歳の若さで世を去った。彼女に「鯨法会」という美しい詩があるので、引用しておこう。

   鯨法会は春のくれ、
   海にとびうおとれるころ。

   はまのお寺が鳴るかねが、
   ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

   村のりょうしがはおり着て、
   はまのお寺へいそぐとき、

   おきでくじらの子がひとり、
   その鳴るかねをききながら、

   死んだ父さま、母さまを、
   こいし、こいしとないてます。

   海のおもてを、かねの音は、
   海のどこまで、ひびくやら。

(参考文献) 「童謡詩人金子みすヾの生涯」(矢崎節夫著 JULA出版)
(金子みすヾの詩は、「人生World」の「金子みすヾ詩集」でご覧になれます)


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