橋本裕の日記
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2001年06月19日(火) 金子みすヾの詩(6)

 大正15年2月17日、みすヾは宮本と結婚した。ところが、4月4日、正祐は置き手紙を措いて家出をする。正祐の家出をみすヾの夫との不和だと考えた養父の松蔵は宮本を激しく叱る。宮本の結婚後もやまない派手な女遊びが怒りに火を注いだ。

 松蔵はみすヾを離婚させようとしたが、みすヾは自分がすでに妊娠していることを知り、夫と一緒に上山文英堂を出ることを選ぶ。こうして強引な政略結婚は、松蔵にとっても不如意な結果をもたらした。しかしこれは、その後みすヾが嘗めなければならなかった辛酸の、ほんの序の口に過ぎなかった。

 みすヾにとって救いは、彼女を励ます正祐の書簡が次々と届いたことだろう。正祐はみすヾの天才を信じて疑わなかった。西条八十を別にすれば、彼はみすヾの詩の最大の理解者だった。昭和2年1月19日付きの彼の手紙の一部を紹介しよう。

「いかに私が毎月『愛誦』の金子みすヾの謡をかじりつくようにして読み、如何に感嘆し、如何に人生的意義を感じ、如何に・・・今では一々の象徴的意味、ある場合は作者の予期しないような意味を見出して、よろこび、かつ頭をさげる私です。たとえば『裏水の水たまり』にうつる無限の空の法悦味や、小さな蜂の中に見える神々の姿や、さては又、麦になれない黒んぼうに、私や、あなたの姿を見、『せめてけむりは空高く』のいささかの希望に涙ぐみ・・・・」

    はちと神さま

   はちはお花のなかに、
   お花はお庭のなかに、
   お庭は土べいのなかに、
   土べいは町のなかに、
   町は日本のなかに、
   日本は世界のなかに、
   世界は神さまのなかに。

   そうして、そうして、神さまは、
   小ちゃなはちのなかに。

 みすヾの詩がこのように大量に残されたのは、彼女が死に臨んで、弟の正祐に三冊のノートを託したおかげである。そこには、彼女が20歳から25歳までの間に作り続けた500編余りの詩が含まれていた。


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