橋本裕の日記
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2001年06月21日(木) |
金子みすヾの詩(8) |
金子みすヾが愛児を残して、自ら命を絶ったのは、西条八十との出会いをはたした3年後の、昭和5年3月10日のことだった。地元の防長新聞は次のように報じている。
「下関西南部町上山書籍店同居人大津郡仙崎町生まれ金子てる(28)は十日午後1時頃カルチモンを飲み自殺を遂げた。てるは同店員宮本某と内縁を結んでいたが捨てられたのを悲観したためである」
この新聞記事は間違いを犯している。彼女は28歳ではなく、26歳であった。そして、夫の宮本啓喜とは正式に結婚し、離婚話も正式に進んでいた。離婚に際して、彼女は娘を手元に引き取り、自分で育てたかったが、夫は彼女に対するいやがらせとしか思えないほど、娘を渡すよう再三要求した。
彼女は夫が娘を連れに来る前夜、睡眠薬を飲んで自殺した。自殺の原因は夫に捨てられたことが原因ではなく、夫に愛する娘を奪われることへの抵抗だった。
彼女の最後の詩は「きりぎりすの山登り」だという。みすヾを再発見し、「金子みすヾの生涯」を書いた矢崎節夫氏によれば、これは「童謡で書いた遺書」だという。
きりぎりすの山登り
きりぎつちょん、山登り 朝からとうから、山登り。 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
山は朝日だ、野は朝露だ、 とても跳ねるぞ、元気だぞ。 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
あの山、てっぺん、秋の空、 つめたく触るぞ、この髭に。 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、 お星のもとへも、行かれるぞ。 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、 あの山、あの山。まだとほい。 ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
見たよなこの花、白桔梗、 昨夜のお宿だ、おうや、おや。 ヤ、ドッコイ、つかれた、つかれた、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、 露でものんで、寝ようかな。 アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。
その夜、みすヾはいつもより時間をかけて、娘のふさえを風呂に入れた。そして、ふさえの体を抱きかかえるようにして洗いながら、たくさんの童謡を歌った。「テルさんは今夜はずいぶんと気持がいいのね。あんなにたくさん歌っている」と、居間にいた母のミチは松蔵に声をかけたという。
風呂から上がると、四人で桜もちを食べた。死を予感させるものはなにもなかったが、「今夜の月は、きれいだから、うれしいね」とみすヾは一度だけ口にしたという。ミチの覚えているみすヾの最後の言葉は、娘の寝顔を見つめて言った、「可愛い顔をして寝とるね」だったという。
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