橋本裕の日記
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2001年06月24日(日) |
金子みすヾの詩(11) |
みすヾが26歳の若さでこの世を去ったあと、日本は戦争の暗い時代を迎える。そして、その動乱の中で、世の中はゆとりを失い、童謡どころではなくなり、彼女の作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりになった。
ところが戦後になって、「日本童謡集」(与田準一編・岩波文庫)に載せられた《大漁》という作品に、一人の童謡詩人・矢崎節夫氏の目が釘付けになる。彼はそれから16年間にわたり、《大漁》の作家・金子みすゞを追い続けた。
没後50年余を経た1982年、矢崎さんはとうとう彼女の弟の上山正祐(雅輔)氏が東京で生存中であることをつきとめる。上山氏にとっても、それは奇跡的な出会いだった。彼は大切に保管していた姉の3冊の手帖を、《大漁》の詩の熱烈な愛好家だという矢崎氏に委ねた。こうして、矢崎氏の献身的な努力で、みすヾの残した512編の詩が、一気に甦ることになった。 土
こッつん こッつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ。
朝からばんまで ふまれる土は よいみちになって 車を通すよ。
ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらない土か。
いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。
土は踏まれたり、ぶたれたりすることで、よい畑になったり、道になる。しかし、踏まれたりぶたれたりしたことのないただの土にも、いいところがある。それは「名のない草」のお宿になることである。
すべての土が畑や道になったら、世の中はとても生産的になるだろう。しかし、そのような社会がしあわせかどうか。もし世の中が畑や道路ばかりになったら、名もない花はどこをお宿にすればいいのだろう。
金子みすヾの詩は、私たち名もない草草が、ほっと安らぎを覚えることのできる貴重な「心のお宿」なのかもしれない。矢崎節夫さんは、「みすヾコスモス」(JULA)という本のなかで、次のように書いている。
「みすヾの童謡は、日本人が初めて手に入れることができた、小さな人から大人まで三世代が共有できる文学宇宙です。読み手の人生観、宇宙観、宗教観の深まりによって、どんなにでも深く旅することができる、広大なコスモスです」
1984年JULA出版局から全集や選集が出版されると、みすゞの詩は多くの人々の心に深い感動をもたらし、彼女の詩を愛する人々の輪がまたたくうちに広がっていった。1996年4月からは、小学校国語教科書や道徳の副読本などで、全国の子どもたちがみすゞの詩に親しんでいるという。
(参考) 金子みすヾの世界
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