橋本裕の日記
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2007年10月28日(日) 贋世捨人

 車谷長吉さんの自伝小説「贋世捨人」(文春文庫)を読んでいたら、西行の次の歌にであった。「山家集」(岩波文庫)は座右において読み返しているが、この歌があることは知らなかった。

 あはれみし乳房のことも忘れけり我悲しみの苦のみおぼえて

 いま、「山家集」を開いて探してみると、この歌に続いて、次の歌があった。

 ひまもなきほむらのなかのくるしみもこころおこせばさとりにぞなる

 西行は23歳のとき突如出家した。その理由はつまびらかではないが、「ひまもなきほむらのなかの苦しみ」からの逃避ということもあったのかもしれない。西行にはこんな歌もある。

 心から心に物を思わせて身を苦しむる我身なりけり

妻子を捨てての強引な出家だったようだが、これを悲しんだ妻もやがて尼になった。西行はこれを喜び、涙を流して再会し、法文などを教えたという。

 西行は芭蕉や良寛とともに私の最も尊敬する詩人であるが、社会の底辺を這うように生きてきた車谷長吉さんの西行を見る目はかなり厳しい。彼は西行ばかりでなく、鴨長明や兼好法師、芭蕉も「贋世捨人」ではないかという。

<西行はうちのお袋が言うたように、荘園の百姓に働かせておいて、その上がりで自分は好き勝手に行動し、無一物が一番ええ、というような歌を詠んだ男である。下司などは、人間の内には算えていなかったのだろう。

 また長明も兼好も貧乏が好きで、そういう窮乏生活を経験した人だが、併しこの人たちも下級とは言え貴族である以上、なにがしかの社領からの上がりはあったのだ。だから飢え死ぬところまでは行かなかった。

 芭蕉は全国各地の弟子に連句・発句の教授をすることで、謝礼を受け取っていた。こう見て来ると、これらの人たちも、その言葉は兎に角、生活面ではみな贋世捨人だったのではないか。一休が女にうつつを抜かしたように>

 よく寺の坊主が「無一物がよい」「無欲で生きよ」などと説教するが、そういう彼らが無一物かどうか、無欲かどうか、あやしいものだ。本当に世を捨てるということは、つまり「飢死にする」ということなのかも知れない。すくなくともその覚悟がなくてはいけない。

 私自身の考えを言えば、西行や芭蕉は「贋世捨人」とは言えないと思う。なぜなら、彼らは決して「世を捨てた」わけではないからだ。芭蕉が弟子に説いたように、「俗を出て、俗に還る」ということが彼らの真骨頂だった。事実、西行はこんな歌を詠んでいる。

 世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人こそすつるなりけれ

花を愛した西行の心事は、つきつめるところ「色即是空、空即是色」の一事であった。彼らはこの世から背を向けたのではなく、この世におおきな恵みを齎すために、もっとも徹底的に現世的に生きた人たち人たちなのだ。

(今日の一首)

 身を捨てて浮かぶ瀬もあれ世の中は
 いろいろあって楽しみ多し


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