橋本裕の日記
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2007年10月30日(火) 幸福な生活

 妻が近所に畑を借りて、野菜を作っている。その上、妻の実家が田んぼを持っていて、米はそこから毎年もらっているので、我家の食料自給率はかなり高い。

 これから食糧危機の時代を迎えるかもしれない。妻の実家が田畑を持ち、自給自足できることはなにかと心強い。しかし親の財産に頼ってばかりいると、人間がだめになる。独立自尊の心意気も大切だ。

25年ほど前に結婚したとき、100坪ほど平地があるのでそこに家を建ててはどうかと、妻の両親から打診があった。私たち夫婦は乗り気だったが、父がこれを断った。そのころ、私の田舎でもゴルフ場ができ、山が売れる話があった。父はこれで私たちの家を建てるつもりだった。

ところがバブル経済が終わり、山は売れなかった。結局、私は実家からの援助はあまりあてにせず、25年の住宅ローンを組んで、当時住んでいた名古屋市からかなり離れた一宮市に家を買った。しばらくして妻の母親から田んぼを売って2千万円ほど援助してくれる話もあったが、これも断り、地道に働いてこつこつと借金を返してきた。

そのためにこの20年間、我家はかなりの緊縮財政だった。二人の娘には高校も大学も近隣の国公立しか選択肢はなかった。部屋の電気の消し忘れにも妻は目を光らせ、私もがみがみ叱られた。私は散髪も自前でするようになり、もう何年間も理容店には行っていない。

たまの家族旅行も青春18切符をつかった倹約旅行である。これで一家四人、倉敷までいったことがある。駅前の木造のぼろ旅館にとまったが、今ではこれも楽しい思い出である。こうした一家を挙げての倹約生活が堅実な我家の家風を育てた。子育てには良かったのではないかと思っている。

ところで、「幸福」という言葉は、「幸」と「福」という二つの言葉から成り立っている。ともに「しあわせ」と読むが、この二つは違った意味の幸せだという。「幸」は「海の幸」というように、「恵まれたよろこび」である。一方、「福」の旁は米俵を積み上げた形をしている。これは人間が努力をして作り上げたしあわせである。この両者があいまって「幸福」な人生が実現する。

(今日の一首)

新米をうましと食べる
妻は馬年
天高く馬肥ゆる秋

昨日からパン食をやめ、朝食もご飯を食べるようになった。しかもおいしい新米だ。味噌汁と卵焼き、焼海苔、山葵漬けで、私も朝から食べ過ぎてしまった。


橋本裕 |MAILHomePage

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