橋本裕の日記
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2007年11月02日(金) 人生の感触

 妻や娘と山の紅葉を見ていて、「ああ、極楽だな」と感じた。そのことを「恍惚として極楽浄土」と、短歌にも表現した。そう表現したくなる美しさだった。

小学生の頃から、「秋の夕日に照る山紅葉……」と歌っていて、紅葉を眺めるのは好きだったが、年齢を加えるほど、その美しさが、なんともいえない情感を伴って心を満たすようになってきた。

 これは紅葉だけに限らない。春の花といい、夏雲の姿といい、冬の雪景色といい、あるいは道行く人の何気ない仕草といい、人生のあらゆる出来事が、しみじみとした情緒とともに、味わい深く心に触れてくるようになった。つまり「人生の感触」がより深く、ゆたかに感じられるようになってきた。

 さまざまな先入見に囚われ、意地や欲望に囚われて、すべてを自分の利害打算を中心に眺めていては、ものごとの真実は見えない。これでは、人生そのものが色を失い、微妙な感触を失ってうすっぺらなものになる。そしてその殺風景で灰色であることさえ気づかない。

ところが、そうした利害打算の欲望を離れて、無心に人生を眺めてみると、この世はにわかに信じられないほどの精彩を帯びてくる。そして幼い頃に感じていたなつかしい「人生の感触」が生き生きとよみがえってくる。

道元は禅の極意を「眼横鼻直(がんのうびちょく)」と喝破した。人生をより深く感じるためには、むつかしい理屈はいらない。ありのままを眺めればよい。そうすればその鏡のような心に、森羅万象が生き生きと見えてくる。そのとき心は法悦とも言える清清しさで満たされる。

私たち日本人はこの魔法をよく知っていた。そして自己を空しくすることで得られる人生のゆたかでさわやかな感触を、短歌や俳句、詩文として数多く残してきた。

その代表は西行であり、芭蕉や良寛である。私もこの美の伝統の中に生きて、豊かな感触と色彩に染められた人生の曼荼羅を、自らの言葉の糸で紡いで行きたい。

(今日の一首) 

 歳をへて心ようやく落ち着いて
 風の音まで美しきかな


橋本裕 |MAILHomePage

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