橋本裕の日記
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私が仏教に興味を持ち始めたのは、県立高校の入試に失敗して、浄土真宗系の私立高校に入学したためだ。そこで仏教に出合った。それまで科学や文学を愛好する少年だったが、これを契機に精神的なものにも目が向くようになった。
そして科学や文学のみならず、哲学や宗教に大きな関心を持つようになった。仏教ではこれを「仏縁」という。私もこうした縁に恵まれなければ、いわゆる「縁なき衆生」として宗教には関心がもてなかったかも知れない。
もっとも、私は地獄極楽や死後の世界は少しも信じていない。葬式も必要ないし、墓もいらない。宗教に関心はあるが、仏も神も信じていなくて、ただ「仏性」のみを信じている。かなり変わり者の仏教徒なわけだ。それでも私は「仏縁」には大いに感謝している。
なぜなら、仏教を学ぶことで、私たちが生きている世界が「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」からなる六道の世界だと気づいたからだ。私はこの迷いの世界で、何とか他者に優越しようとして、あるいは落ちこぼれないように、あくせくと生きていた。利害打算と欲望に振り回されていながら、そのことにさえ気づいていなかった。
仏教は現実がこうした迷いの世界であること教えてくれた。しかし、それだけではない。そうした修羅世界のただなかに、もうひとつ違った叡智の世界があることを気づかせてくれた。それが「声聞、縁覚、菩薩、仏」の「さとりの世界」だ。
欲望と打算の修羅世界だけではなく、愛と叡智に満ちた安らぎの世界がこの世に存在する、それも私たち一人ひとりの心の中に「仏性」として生き生きと存在する。このことに気づかせ、私を生まれ変わらせてくれたのが仏教だった。若い頃にこの教えに出会えたことは幸運であった。
(今日の一首)
ありがたき仏縁ありてみ仏を 心に抱けば風もさわやか
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