橋本裕の日記
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2007年11月15日(木) |
微粒子の不規則な運動 |
1827年、イギリスの生物学者ロバート・ブラウンが、顕微鏡で水中の花粉を観察していたところ、ふしぎな現象にであった。花粉は水を吸収し、やがて破裂する。そして水中に無数の微粒子を放出する。不思議なのはその微粒子の運動だった。
顕微鏡で観察すると、その微粒子は何かに突き動かされるような不規則な運動をしていた。どうしてそんな複雑なジグザグをするのか、その理由がわからなかった。それだけにこの微粒子の独特の運動は人々の注目を浴びた。科学者はこれに「ブラウン運動」という名前をつけた。しかし、長いこと、この謎を解く人物は現れなかった。
この謎解きをしたのが若きアインシュタインだった。スイス特許局の下級役人だったアインシュタインは、1905年に論文を発表して、「ブラウン運動の原因は水分子の不規則な熱運動である」という説を唱えた。ちなみにこの年、アインシュタインは「特殊相対性理論」と「光電効果」の理論を発表している。
この3本の論文はどれも物理学の歴史を変えるような革命的な価値のある論文だった。したがって現代の物理学者はこの1905年を「奇跡の年」と呼んでいる。もっとも、これらの論文は当時はほとんど注目されなかった。まだその価値がわからなかった。
すべての物質が原子や分子からできているという「原子論」は現在では小学生でも口にするが、100年前までは、学者でさえこれを疑っていた。たしかにこのころボルツマンは統計的手法を駆使し、「温度や圧力といったものは、原子・分子といった粒子が、ニュートン力学に従って、衝突などの運動をしていることによって起きている」と力説していた。
しかし、当時の学会の主流はこれに懐疑的だった。たとえば当時の指導的な物理学者で哲学者であったマッハは、「原子や分子は実際に観測されていない。実証されない仮説は非科学的なドグマであり、排斥されるべきだ」と主張していた。
こうした学会の雰囲気の中で、ボルツマンは1906年に謎の首吊り自殺をしている。その二年後の1908年、ペラシがブラウン運動の精密な観察を行い、アインシュタインの予想が正しいことを実証した。これによってボルツマンの考えの正しさも次第に認められて行った。
たしかにどんなすぐれた顕微鏡でも原子・分子を直接見ることはできない。しかし、私たちは顕微鏡で微粒子のジグザグ運動の不規則性を見ることで、そこに水分子の実在を実感できる。アインシュタインの「ブラウン運動」の理論は、原子・分子の存在を直接的に分かりやすく示すものだった。
そして、アインシュタインはこの「ブラウン運動」の論文で物理学博士号を取得している。アインシュタインの論文でこれまでに一番引用される回数が多いのもこの論文だ。アインシュタインと言えば「相対性理論」が有名だが、意外なことに、彼がノーベル賞を受賞したのは「光電効果」の研究によってだった。革命的な理論は、学会でもなかなか受け入れられないものだ。
(今日の一首)
目に見えぬ水の分子のいたずらか 顕微鏡下の微粒子踊る
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