橋本裕の日記
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最近はめっきり寒くなってきた。散歩をする時間もしだいに遅くなり、ときには九時をすぎるときもある。セーターの上にチョッキを着て出かけていたが、これからはジャンパーが必要かもしれない。それでも帰ってくる頃には、からだがポカポカしている。これは筋肉の運動によって、私の体の中で熱が発生しているためらしい。
散歩に出て、寒いときには、無意識に両手をこすっているときがある。こうすると摩擦熱であたたかくなる。原始人は木片をこすらせて火を起こしたらしい。マッチを摺って発火するのも同じである。ものをこすり合わせることで、熱が生まれる。
熱とは何かということについて、200年ほど前までは、熱素という物質(カロリックと呼ばれた)が存在すると考えられていた。たとえば海水がしょっぱいのは、そこに塩分が含まれているからである。どうように、物体が熱いのも熱素が含まれているから考えられた。
海水と真水をまぜると、塩分が平等にいきわたり、中間の塩っ辛さの溶液ができあがる。湯に水を加えれば温度が下がるのも、熱素がいきわたり、薄められた結果だと考えればよいわけだ。確かに「熱素」を考えることで、かなりのことは説明できる。
しかし、熱素説で説明できないこともある。それが摩擦熱の発生だ。なぜ手をこすり合わせるだけで熱が生まれてくるのか。熱が物質だとすると、物質が無から生まれることになる。しかも、物体は熱せられても質量はふえない。
そもそも熱素が塩化カルシウムのような物質なら、単独で取り出せるはずである。しかし、熱素の結晶をなどだれも見たこともない。こうしたわけで、熱を物質だと考えることはどうも無理らしいとわかってきた。
それではどう考えたらよいのか。物をこすり合わせると、表面の原子どうしがぶつかり、その激しく運動するようになる。このことに注目して、熱はじつはこの原子たちの運動と結びついているのではないかと考える人があらわれた。そのもっとも熱心な代表がボルツマンである。
彼は熱は物質を構成する原子や分子の運動エネルギーだと考えた。そうすると物体の温度も、「原子や分子のもつ運動エネルギーの平均値」として定義できる。たとえば気体の温度は、そこに含まれる気体分子の運動エネルギー(速度の二乗に比例する)わけだ。彼の説は学会で反発を受けたが、彼が自殺した後、正しいことが実験でたしかめられた。
彼によれば、熱の伝播とは、原子や分子が衝突して、その運動エネルギーをお互いにやりとりすることで成り立つ過程である。気体中で分子は1秒間に何十億回も衝突している。これによってエネルギーがやり取りされる。個体や液体の場合も同様である。
分子が熱を伝える気体に比べて、液体や個体のほうが熱を伝えやすいのは、原子がはるかに稠密に存在しているからだろう。そして固体の中でも金属は熱伝度が大きい。その理由は、金属の中に自由電子が大量に存在することがあげられる、この自由電子が効率よく動くことで、熱がすばやく移動できるわけだ。
(今日の一首)
散歩道ケリの家族を見つけたり 苅田のなかで夫婦よりそふ
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