橋本裕の日記
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平成19年も今日でおしまいである。今年の抱負は「短歌を毎日作ること」だった。元旦の日記から引用してみよう。
<振り返ってみると、我ながらいろいろなことに挑戦し、人生を楽しんできたものだ。死ぬまでこの姿勢を続けたいと思っているが、さて、それでは今年の抱負は何か。いろいろやりたいことのなかで、今年は「今日の一首」と題して、毎日短歌を作ろうと思う。「継続は力なり」という言葉を信じて、ちょっと短歌をがんばってみよう。もちろん、たのしみながら、のんびりがんばるのである>
さて、来年は何を抱負にしようか。日記を継続することはいうまでもないが、何かもう一つか二つ「たのしみながら、のんびりがんばる」ことをしてみたい。まあ、それは明日の日記に書くことにして、とりあえず「12月の短歌」をまとめておこう。
夢の中我を呼ぶ声亡き父にはいと答えて夢よりさめる
身投げする人の心は知らねども人降る街はさびしきものぞ
木曽川の紅葉美し御岳も伊吹も見えて歩めばたのし
ひさかたに雨降る朝は妻さそい近所の茶屋でコーヒーを飲む
部屋の中振り子振らして愉快がる中年親父のはるかな郷愁
バネふり子振らしてみれば面白い生き生き感じる自然の不思議
木曽川を歩けばかわる風景に変らぬものは白き御岳
たのしみは祇園の茶屋でひと騒ぎそのあとひとりで古都を味わう
ほろ酔いで月はおぼろに東山舞妓のすがたあはれなるかな
加茂川の橋を渡りつ若き日の思ひ出しのぶ三条川原町
柘植の櫛祇園で買って二念坂バターナイフは妻のため
乳をやる母が腹ばう囲炉裏端木村伊兵衛の深きまなざし
なつかしき便りが届く同窓会紅顔の少年もいまや五十路か
なつかしき暮らし息づく港町子どもの笑顔拾って歩く
旅先で出会う老女のほほえみに心の垢もながされていく
紙芝居見つめる子らのまなざしが熱線のごとし昔の写真
見ることのたのしみふかし今日もまた散歩に出かけ白き山見る
結婚の日取りも決まり肩寄せて微笑む二人われも微笑む
さまざまなご縁がありて出来あがる人生模様のおもしろきこと
なにゆえにここに生きるかたまゆらの生をたのしみいつか朽ちゆく
朝ごとに短歌を詠んで目をとじるこのひとときはこころまろやか 眼に見えぬ原子分子があつまりてこの世ができてわれも生まれる
面白き理科の実験思い出しローソク燃やして胸ときめかす 木曽川の河原に来れば冬枯れの木立の上を鳶が悠々
木漏れ日の丸い光がはねている君の足もと枯葉が落ちる
夏至の日は柚子湯につかりかぼちゃ食ふ体ほかほか心もたのし
パブに来てマイクを握りカラオケで演歌をうたうクリスマスの夜
ふるさとの小浜の町はあたたかくわれを迎える師走の今日も
スタッチョと呼ばれた愛車手放したその日はさびし飯を食べても
張替えたま白き障子に囲まれて年の瀬迎えこころ華やぐ
(今日の一首)
歳末の献金終えてありがたき このしあわせに両手あわせる
18年近く歳末のボランテア献金を続けている。きっかけは肥満だった。仕事帰りに、近所の屋台でラーメンを食べたくなる。これを止める苦肉の策として思いついたのが、間食を控えて浮いたお金を世界の子どもたちに献金するというアイデアだった。
飢餓で苦しんでいる子どもたちの顔を思い浮かべると、食欲も多少は抑制された。さらに食事でも腹八分目を心がけた。これで体重は10キロ近く減って、常用していた高血圧の薬も必要なくなり、通院の手間と薬代も浮いた。
最初は「ユネスコ」だけだったが、アフガン戦争を契機に「ペシャワールの会」へ、それから娘たちが就職し、扶養家族が妻ひとりになってからは、「国境なき医師団」にも献金しはじめた。この献金で私の健康が維持でき、その上に受けているご恩の一部でも世界にお返しできれば、まさに一石二鳥だ。
もっとも、私が献金を始めたころの日本は世界がうらやむ平等社会だった。いまや日本は有数の格差社会で、ワーキングプアーが増えている。献金するだけではなく、庶民の暮らしをないがしろにする政治を変えていくことも必要だろう。
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