French Wolf の日記
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木曜日。
最近一日一日がどんどん過ぎ去っていく。光陰矢のごとしというが、まさにそれを実感している。1 週間前の自分が何をしていたか、1 ヶ月前、半年前、1 年前のことが、まざまざと脳裏に浮かびあがってくる。年老いた証拠だろうか。
朝ご飯を食べた後、燃えるごみの日だったため、(母が) 家中の燃えるごみ捜査網を張り巡らし、ホシをつかまえて、ビニール袋に押し込める。その間自分は、しばしの休息。
いつのまにか、10 時半。母は、昨日お世話になった O 田さんに電話。車で祖母のお見舞いに付き合ってもらい、その後、祖母の家まで送っていってもらうように哀願 (!!) したのである。それも当然。今日は天気がよいし、自転車をいつまでも祖母の家に置いておくわけにはいかない。なにより、足がなくては移動もままならないのが、自宅なのである。もちろん、最近祖母もご無沙汰であり、お見舞いしなくてはならなかったのは言うまでもない。
O 田さんが迎えに来て、車に乗る。当初の予定では、病院にいく予定だったが、予定を急遽変更し、家電量販店、しかも俺の日記ではもうお馴染みのコ●マに立ち寄ってもらった。1 階に 2 つつづきである 6 畳間にテレビが欲しい、と母が駄々をこねたからである。また、いつハマり始めたのかは俺の知る限りではないが、最近カラオケに凝っており、例の O 田さんからいろいろと演歌のテープをもらい練習に励んでいる模様。しかし、今俺の家にある S◎NSUI の高級ステレオや、最近購入した MD や CD、ラジオの聞ける高級ステレオ (ケンウ●ド製) では、カセットが聞けないから、昔ながらの“ラジカセ”が欲しいとのことだったのである。ラジカセは母の日のプレゼントとして (と俺が勝手に決めて) 母に贈呈し、テレビもリヴィングにあるのと同じ、28 型ワイドとテレビ台を購入。
そして、病院へ。祖母の様子がおかしい。1 月 31 日に歯医者の階段で腰を捻ったらしいのだが、その後 4 月 12 日までは、祖母の家で普通に、とはいっても、痛い痛いと悶絶することもしばしばだったが、暮らしていた。4 月 12 日に入院したのは、その日の朝トイレに立って、用を足した後、便座から立ちあがれなくなってしまったからである。当初、近所の外科 (看板には“小外科”と書いてあるが) で診察してもらい、湿布と痛み止めの薬を服用していた。4 月晴れた日には、近くの公園まで散歩に出かけることができるくらいまで、回復したのだが、また悪化していたのである。入院時の診察では、第三腰椎圧迫骨折という舌をかみそうな診断が下され、即座に入院となったのである。
本来なら病気・怪我を治してくれるはずの病院にいるにもかかわらず、痛みは一層ひどくなるばかりというのである。親戚一同では、やぶ医者なのではないか、というウワサもあり、退院させて、少し遠いがもっとマトモな病院に転院した方がよいのではないか、という話も飛び交う始末。実際、祖母を見ていると、頭はしっかりしており、糖尿病は抱えているものの、内臓も至って健康であり、問題は腰と足だけである。そんな祖母が、自分はもうこの病院で死ぬ、みたいなことを言ったりするので、見舞う方も気苦労が耐えない。励ましすぎても嘘に聞こえてしまうかもしれないし、かといって、冷たくあしらうわけにもいかない。難しいところである。
お昼ご飯を食べる祖母を見守り、病院を後にした。O 田さんとランチでもと母が提案したのだが、O 田さんはそういった気遣いをされることがあまり得意ではないらしく、丁重にお断りされた。
そうそう、病院に向かう車中でまた“いじゃける”話が舞い込んできた。母の叔父なのだが、かつて先生というあだ名で日記にも登場している、この人。正直いって、おせっかいなのである。今月の 21 日から、今までの会社の契約社員として仕事もきちんと見通しが立っており、ローンの審査を無事通過したということで、それ以上のことは何も考えていないのに、かってに金持ちの集いのような場所で、俺のことを話題にするらしい。話のネタにされるだけならば、何も問題はないのだが、それだけでは飽き足らず、やたらと“小さな親切。大きなお世話”をしたがる。今回も、県会議員に相談し、定時制高校の英語教師の職がないか、なんてとてつもない話をもってきたのである。俺が頼み込んで、英語の先生をやらせてください、と言っているのなら、まだ話はわかる。というか、ごく自然なことだが、今回の場合、話はまったく異なる。そもそも俺は、数学の教員免許しか持っていないのである。まったく、向こうは何を考えているのか。もちろん、収入が少なくてローンを抱え込んで大変だろう、という労りの気持ちもあったとは思うが、俺から見れば、単なる厄介モノにすぎない。
さてさて、お見舞いの後、O 田さんには祖母の家に向かってもらうことにした。家に着くと、もう 1 時を回っており、昼ご飯を食べねばということで、残りご飯で母がチャーハンを作る。途中でミックス ベジタブルを入れるか、と聞いてきたが、甘くなるからネギと卵だけでいい、と返した。祖母の家に置いてあった荷物をかついで、自転車で自宅に向かう。
自宅に着くと、今度は電気屋から連絡があり、リヴィングの照明 (100 W の電球が6個もついているシャンデリアである) で蛍光燈が使えるらしいから、今から持っていくというものだった。これが、2 時半。しかし、待てど暮らせど一向に電気屋が現れる気配はない。結局 4 時半まで待って、電話連絡を入れると、今手が離せないから 6 時ごろ来るだとよ! ふざけんのもいい加減にしろ、という感じである。これまた“いじゃける話”ではないか。
母と二人でふてくされ、近くのリサイクル ショップに冷やかしに出かけた。母は、なにやら本を一冊買っていたようだが、自分は何も買わずに店を後にした。その後、100円均一コーナーのあるドラッグ ストアに立ち寄って、日曜雑貨品などを購入。時計を見ると、6 時少し前。ちょうどよいということで、家に戻ることにした。
家に着いても、まだ電気屋はやってこない。結局現れたのは 6 時半を回った頃である。ただ、電球を蛍光燈にかえるだけの簡単な作業だったのだから、自分でコ◎マで買って取り替えてしまえばよかったのに…。その方が安くついたに違いない。
まったく、今日は“いじゃける”ことの連続だったなぁ。
朝から嫌な天気である。こちらでは、雨模様。激しく降ったり、どしゃ降りだったり、シトシト降ってみたり…。
来週の月曜日から仕事に復帰すると思うと、ちょっとブルーである。毎日きちんと職場にいって仕事をこなしているみなさんには、申し訳ないと思うが、何より正式に認可された (?!) 病人である。
お昼近くにちょっとしたプライベートの仕事が入ってきて、すぐ納品。内容が数学だったためスムーズに仕事を終えることができた。
3 時半過ぎ、母が出先から戻ってきて、母の友人の O 田さんの車で祖母の家から自宅に向かった。雨が一段と激しさを増し、嵐の様相である。
家に帰ると、電話の嵐。東京電力、銀行のローン担当者からである。前者はたいしたことなかったのだが、後者は結構面倒な話だった。母と一緒にここで暮らしているのだが、母の住民票は、離婚問題などの関係でまだ東京にあるのである。ただローンを組みときの条件というか、申請書類に母と 2 人で生活すると記載してしまったため、母を含めた、この家に住んでいる人全員の住民票が必要だということである。まずは、104 で母の担当弁護士の連絡先を聞き出し、そこに連絡し、かってに住民票を移してもよいものか相談した。その後ふたたび、104 で練馬区役所の電話番号を聞き出し、電話して“転出届”を郵送してもらうために必要な事柄を聞いた。
祖母の容体も思わしくない。俺も来週からは仕事が本格的にスタートする。ということで、母は、週 3 回通っていた家政婦のパートを辞めることにした。そして、その雇い主にも連絡を入れていた様子である。
車で送ってきてもらったため、自転車がまだ祖母の家に取り残されたままになっている。自分の足で、徒歩 5 分くらいの場所にあるコンビニに出かけ夕飯のたしになるようなものを買ってきた。
夜が訪れるのは早い。風呂に入って、夕ご飯を食べているうちに眠くなって寝てしまった。
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