きのう雨にたたられた地蔵盆の後片付けを、役員さんたちとお昼までかかって終え、「能登杜氏組合夏季講習会」出席と、西尾杜氏、蔵人の石垣さんと顔合わせの会をするため一路珠洲市へ、片道300キロ約4時間のドライブです。
金沢から能登有料道路を通るのですが、道路がますます良くなっています。能登空港も昨年開港したし、いやはや公共事業に恵まれたお土地柄です。
能登半島の背骨にあたる山々を、谷には高架をかけ、山塊はトンネルでうがち、切り崩して真っ直ぐに通じるこの道路を通っていると、昔、ここに住んでおられた方々は、冬場は杜氏や蔵人さんとして酒蔵に行くしか仕方なかっただろうなあ、と思ってしまいます。
なんで能登に興味をもったのか理解できないのですが、火星の研究や、当時未発見であった冥王星の存在を予言した、パーシバル・ローウェルなるアメリカ人が1889年に能登半島の穴水まで旅行し、帰国後『NOTO』という旅行記を出版しています。
数年前に出版された邦訳(能登印刷出版部)をほろよいは持っているのですが、そこに出ている写真にも、当時の悪路の様子がうかがえます(ローウェルは能登半島の先端まで行きたかったようですが、穴水まできてほっこりしたようです)。他にもボラ待ち櫓の写真をはじめ当時の写真がいくつか掲載してあり、当時の能登半島の様子を伝えています。
ちなみに、冥王星の方は、1930年ローウェルの弟子トンボーが発見したそうで、“PLUTO”の頭文字の部分PLはパーシバル・ローウェルのイニシャルになっているそうな(興味のある読者は三菱電機のHPのここのコラムを御参照あれ)。
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