アナウンサー日記
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2001年04月11日(水) |
英語の話・・・その9(父の話3) |
航空管制官養成所で父を待っていたのは、またもや失望と落胆だった。
アメリカ人講師が授業で何を話しているのか、父には全く聞き取ることができなかった。想像を超える現地アメリカ人の喋りの速さと、発音の不明瞭さだった。日本で出会った何人かのアメリカ人たちは、日本人向けに「ゆっくりやさしく」喋っていたのだと悟らされた。
父は途方に暮れた。
英和辞典を食べながら覚えた血のにじむような苦労の中で、確かに英語の知識は増えた。だが実際にアメリカに来てみると、相手が何を言っているのか聞き取れないし、こちらから話しかけても、発音が悪いらしく言いたいことが伝わらない。
航空管制官は、無線を使ってパイロットと交信するのが仕事だ。交信はどこの国でも英語で行われる。目の前の人間が何を言ってるのかさえ分からないのに、無線で微妙なニュアンスを伝えられるはずがない・・・。
授業はすべて、アメリカ人生徒のペースに合わせて行われる。ほんの数人の日本人留学生のために、そのペースを落とすことはあり得ない。父を始めとする日本人留学生たちは、講師が何を言っているのか分からない中、必死で黒板の文字を書き写す作業に没頭した。もっともその黒板の文字ですら、例外なく講師は悪筆で、何が書いてあるのか分からないこともしばしばだった。そんな日々が2・3ヶ月も続いた。
一方、アメリカでの文化的生活は、日本人留学生たちにとって目くるめく毎日だった。父は、映画に夢中になった。アメリカ映画は、カラー時代に突入していた。役者のセリフは聞き取れないが、日本では見たこともない大画面に展開される総天然色の華やかな世界、そして美しい音楽に酔っているだけでも素晴らしかった。料金も安かったので、毎日映画館を2軒3軒とはしごして見た。そうするうちに、だんだん役者が何を言っているのか分かるようになってきた。
ある日、ひとりのアメリカ人生徒が父を呼び止めた。 「ミスタームラヤマは映画が好きみたいだけど・・・とても怖い映画があるんだ。外国製の映画なんだが、なんだか意味不明の内容で。よかったら一緒に見に行かないか」 ふたりはさっそく映画館へと向かった。
真っ暗闇のスクリーンに映し出された映像に、父は「あっ」と声をあげた。 それは、戦前の日本で作られたアニメーションの無声映画だった。忍者が主人公のコミカルな短編映画である。なんだか遠く離れた異国で、昔なじみに出会ったような気がした。 「な、ミスタームラヤマ、なんだかおそろしい映像だろ?」 隣りを見ると、父を連れてきた巨体のアメリカ人が、うつむいてガタガタ震えていた。それがおかしくて父が声をあげて笑うと、 「キミはなぜこんなわけの分からない怖い映像を見て笑ってられるんだ?」 と憤然とした。 アメリカ人には、日本製白黒アニメのドジな忍者映画が、恐ろしげな儀式が展開される、どこか呪術めいた映像に見えるらしかった。
まだ、ニンジャが世界に知られていない時代のエピソードである。(つづく)
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