アナウンサー日記
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2001年04月16日(月) 英語の話・・・その10(父の話4)

 父がアメリカに渡って3ヶ月が過ぎた。



 映画漬けの父の耳が、ネイティブ・スピーカーの発音に馴染みはじめた。父は、英語では単語ひとつひとつの発音を正確にすること以上に、複数の単語が集まって一文になったときの、「文全体の抑揚」が大事だと気づいた。また、英語は日本語と違って、単語の組み合わせによって「省略されたり、混ざったりする音」があることにも気づいた。

 その観点から、あらためて映画を見、ラジオを聞いて発音をチェックし、アメリカ人のクラスメートに話し掛けた。するとだんだん以前よりも話が通じるようになった。映画で覚えたフレーズを使うと、映画談義に華が咲いた。話が弾んだ。


 それからは早かった。父の頭の中の「辞書一冊分の英語の知識」と「現実の英語社会」が、有機的に結びつき始めた。


 様々な現実が見え始めた。

 
 驚くべきことに1950年代当時、多くのアメリカ人が日本人に対し「畏敬の念」を抱いていた。曰く、「偉大な合衆国に対し極東の小国が互角に戦えたのは、日本人が優秀でガッツがある証拠だ」ということだった。英語が通じるようになると、父に話し掛けてくるアメリカ人のほとんどが友好的な態度だった。

 父は身長163センチと小柄だったが、ある日、「ジュードーを見せてほしい」という大柄な青年をあっさり投げ飛ばして周囲を驚かせた。父が「カミカゼ(特攻隊)」の生き残りで剣道の有段者であることが分かると、父を「サムライ」と呼び、尊敬の眼差しで見るアメリカ人もいた。
 

 一方、「日本は密かに逆襲の機会を狙っている。日本人にアメリカの技術を教えすぎると、今度こそアメリカは日本に戦争で負ける」と真面目な論調で書き立てる新聞もあり、父を苦笑させた。 



 8ヶ月がすぎた。


 いよいよ航空管制官、アメリカ国家試験の日が来たのだ。(つづく)


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