2007年11月25日(日) |
1月3日は温泉ですってよ |
布のプックリしたバッグを手縫いで作ろうかと にわかに意気込んでいます。バッグの型紙が欲しい。
リス柄の手ぬぐいの裾にレースをあしらって マフラーにして、うまく出来て、にやりと微笑む。
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先週、腹の擦り傷から菌が入って膿んだらしく 半年経っても自然治癒しなかったので、40分のプチ手術。
家の状態が大分過ごしやすくなってきたので 外でストレス、家でストレス、休む場所ナシ…という事態から脱却。
腹のおできを切って身体がビックリしている矢先 何処からともなく風邪を拾う。 免疫力がなさ過ぎる…まぁ今まで休めないから 心を麻痺させて生き延びてきてたんだったら 麻痺させることに「適応障害」起こすのは自然なわけで。
心が疲れて、落ちて、身体もぐんにゃり、抵抗力もダウン。
親は私と向き合ってくれるようになりましたが 夫婦間は向き合ってなくて、相変わらず険悪な空気が流れている。 逃げてるよな、と思う。 険悪さの重圧は年月と共にシビアになっていく。 軽くなりたいから向き合わないで逃げてるのに どんどん重たくなっていくのだ、皮肉なもんだ。
でも、初めて「年始は家族で温泉でも行くか」といい始めた父に拍手。 これはびっくりだ、いつも休みの日には 逃げるように単身ゴルフ場へ向っていた父が。
私にも、父にも、母にも、「家」は癒し空間ではなかったのね。 両親ともに、元々育ってきた家は休める場所ではなくて 逃げ出す形で結婚してしまったのだけど 休める場所を知らない人が、休める場所を作ることは出来ない。 休みたいのに、休めない。 …っていうかですね、好きで結婚したんじゃなくて 休める場所が欲しくて、望んでる者同士が結婚したって うまくいく訳がないんですよ、ね。 相手に与えてほしいばかり…ギブ&テイクのテイクのみ だから、どうして与えてくれないんだ、と 夫婦で諍いが絶えなかった。
どっちかが与えようって気になれよ、と思っても お互いに出来ないんだ、だって、両者とも 愛情を貰ったことがないんだもの、 ない袖は振れない。「与える」ものがない。 甘えてくる人を「甘やかす」能力がない。 だって甘やかしてもらった経験がないんだもの。
誰にしわ寄せが来るかって? 子供だよ、決まってるだろ、そういう法則なんだよ。 両親が共に「欲しがり」だったら、子供に「与える」発想なんてなくて それでも子供はそこで成長していかなくちゃいけないから(生きるために)
親が望むものを与えることで、衣食住を確保するのよ。 私にも「愛情」なんて袖はないけど、 なんとかそれらしきものを搾り出して与えるんだ。ご飯のために。 私は、無条件に衣食住を与えられることはなかったし 親が望むものを与えても、愛情は貰えなかった。 本当に欲しいものは貰えなかった。 ただ、肉体だけは維持できた、それだけ。
ALL WE NEED IS LOVE
父は厳しい。(世代連鎖) =「貴方は貴方、人に頼ってはなりませぬ」と言われ育って甘え知らず
母は小心者ゆえの過干渉。(上に同じ) =「世間体が…」と体裁ばかり気にする環境で育って、 「貴女はありのままでもいい」という愛情が不足
プラスの面も世代連鎖するし、マイナスの面もやはり連鎖する。 ものっすごくロジカルでわかりやすい仕組だ。
つーか私にどうしろと?どう育てと? だから「この親元でよく生き延びてきましたね」ってのも納得がいくのだ。
この親の組合せで生まれる子供は、 十中八九、自殺するらしいよ。マジか!
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