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■ 自分勝手に。
私は大切な友人には、自分勝手に、そして目で見たものだけを信じてほしいと、いつも思っています。「あー今日も仕事しなくちゃー」とか「やっぱ忙しいし(時間がない・お金がない)だめかなー」なんてことはあまり聞きたくない。それほど不自由な世の中ではないと信じているからだし、あなたが期待にこたえなくちゃいけないのは、期待に応えたいからであるかもしれません。やってみれば至極容易なことを今の状態の方が好ましいからこそ、しないことをして、これを忙しくて時間がなくて出来ない、とただ言い放っているだけじゃないのか?そんな疑問をここ数年抱えています。結構やれば出来るものです。辞めちゃうのも簡単。将来が、なんてことを言いますが、結局のところ今苦労しておいて後で楽した方が好きだからしているだけで、そこに何も義務など生まれない。人間関係で言えば、そもそも友達とは何かすら曖昧なのに、信じあわなくちゃいけない、何でも打ち明けられる、など何にも裏打ちされていない幻想にこだわっている人が散見されます。信じられる他人はいないのか?自分が結婚しても数年も打ち明けない親友は親友ではないのか?何が言いたいのかというと、使い古された常套句(仕事は何にもましてプライオリティがある、たまには電話してくれたっていいじゃないか、等)にこだわって自分を忙しそうな状況において、好きなことをするのにコストをかける面倒くささを他のせいにするのは心地のいいことなのか?自分で自分を裸の王様にしているんじゃないか?ということです。私がいつ、この疑問を持ったのかというと、NYのテロの翌日です。覚えていますか?あの日すべてのアメリカへ行く飛行機は運行中止になりました。かなりびっくりしたものです。日経平均一万円の大台は軽く吹き飛んだものの、あのアメリカへの飛行機を全てやめる事だって出来たんですよね。あの時、なんだー結構やろうと思えば出来たんだ!と思いました。 本当のところ私もどうかわかりません。とりあえず、仕事も勉強も友達への連絡もすべて断って、その日はアッパーウェストのクロイスターズに行ったわけです。そしてカフェで本を読み、昼寝をして帰ってきたのです。今日休んじゃったら?あなたがしなければいけないことはあなた自身がしたいことをだと思います。
ハドソン川からの涼しい風が吹き抜ける森の中のカフェ
2004年09月05日(日)
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