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■ 文系の憂鬱・理系の鬱屈
文系の興味の対象は、社会だ。 人間が日々、泣いたり笑ったり暮らしいてる様をどんな風に説明するのか、について考えている。社会科学に関して言えば、数百年くらいしか実績の積み重ねが少ないので色々説明できないこともあったりする。
ただ、大勢の人が考え得る疑問については説明ができるようになっていることはあまり知られていない。「人間なんて色々なんだし、時々バカやるんだから、理論的になんて説明できないんだよ」と思っている人が多い。そして、多くの研究者が「その通り」と答えると思う。正解だからだ。だからこそ、勉強すべきフロンティアは延々に広がっている。 しかし、実際にそんな「説明なんてできないんだよ」と言っている人に、じゃ、例えば?って聞いたとする。そうして出された例題には、ほぼ答えが出されていて経験的にも実証されていると思って間違いない。 社会科学のフロンティアは、結構、普通に暮らしている人にフィードバックされていないんじゃないか?って思うことが多いが、実はそうでもなく、中学・高校の教科書にしっかり答えが載っていたりして驚きだ。勿論私は、中学・高校の頃の知識を、自分の利潤の最大化・コストの最小化のために役立てたことはない。 政治・経済・社会・文学色々な謎について、ぱっと思いつく程度の問題や疑問などはもう解答済みなのだ。フロンティアはもっと奥深くにある。 と、思っていたら、実は、理系だってそうなのだ。理系に詳しい人と話していると、同様に、神秘だと思われていることは、実は中学・高校レベルの基礎的な知識で説明可能だという。 光、熱、力、物体、重さ、透明、波、味、匂い、命、こういったトピックについてはほぼ完全に解明されているという。理解さえ出来ていればテレビで紹介されている、「科学では証明できない神秘がたくさんありますね」と言っている人が神秘的に思える、という。 以上のことをもって、もっと色々知るべきだ、とも私は思いません。知らないでいいならば、勉強なんてしなくていいならば、それに超したことはないと信じていますから。
ただ、疑問に思ったときに、「自然の森羅万象は説明できないことばかりだから・・・」と片づけてしまうのを見ると少し胸が痛みます。その言葉は真実だと思いますが、貴方がそう思った動機・疑問については、もう少なくとも、200年以上前に答えが出されていると思って良いからです。 一方でこうした天才たちの一生をかけて見つけた些細だけども小さな真実をどうしてもっと分かりやすくフィードバックしないんだろう?という問題点にも疑問です。
そんな、素敵なものは苦労して見つけた方が良いと思いません?短時間で、ビジュアルや、漫画で、理解させるのは出来るかと思いますが、そうした安易な啓蒙は、その分かりやすさに比例して、どんどん貴重なエッセンスも失われているんです。 そう、可愛い水着を着させてしまえば、速攻で魅力的に見えるかもしれませんが、その子の他の多くの部分が失われているのと一緒。地味な服を着させて、真顔でじっくり話し込んでみてこそ、その子の魅力を知ることが出来るのです。(偶に笑った顔や手の動作、目の動き等々に注目ができるようになる)
そんな、退屈にみえるが、その先に魅力のある作業が、文系にも理系にも共通のインセンティブになっているんだと思う。
2007年04月27日(金)
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