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■ 卒業式と酒の関係
なんか偏頭痛が止まらない。ずっと目を凝らしたような表情をしなければならない。シワとか増えなければいいが。なんか、夏休み企画として、創価学会に入って退会してくるのはどうだろう?なんて話で友達と盛り上がったが、彼らの呪いだろうか?いずれにしてもおかげでかなり早く寝ている。(一時頃にはもう寝ている)
5月はアメリカの大学では卒業シーズン。旧友を訪ねてマンハッタンにいったりしたものです。(いやー試験中でかなりタイトなスケジュールでした)
日本の大学と違って殆ど親がくるのが特徴でしょうか。みんな自分のガウンを着た息子や娘を誇らしげに見上げ、笑顔で会話をしている。
私が大学卒業した時なんて、サークルの打ち上げにも、ゼミのにも、なにも参加しないで、終わっても構内をうろうろして、tsutomuさんと写真を撮って遊んでいたことを覚えています。(ま、それもありかなって思った。そしてそれは結構正解だと思っている)
どうやら中退っていうのは殆どアメリカでは価値がないらしく、めちゃくちゃ苦労して卒業するので、その喜びもひとしおなんでしょう。
卒業した後は、もうみんなと一緒に何かを「終える」ということがないのが、高等教育の卒業の大切な意味の一つだと思います。
入社式はみんなとするかもしれないけど、退社は、きっとひとりぼっち。もうこれからは、フィールドを変えても一緒に羽ばたいてくれる人はいないわけです。(ま、会社が潰れたり、解散したりするときは別か?)
もっといえば、散らばったはいいけど二度と元には戻らない。
そんな二つのことを考えると、卒業は、酒をぶちまける感じに似ていますね。同じ樽のなかで醸成された酒が床にぶちまけられる。二度と元には戻らない。したたり落ちるときはもう一滴一滴と。 乾燥して消える奴もいれば、新たな水瓶を見つけそこで深い味わいを提供する一滴になる奴もいる。学校の特徴は、赤だったり白だったりはたまた熟成されたウィスキーだったりするわけか。
学歴はワインのラベルか。
本当は飲まれてみなければ分からない。飲んだって好き好みがある。飲まれず床にこぼれるだけかもしれない。でも、ラベルだけで値が高くなるのは本当のこと。
来年私は卒業式を迎えるがすぐに蒸発して後に残らないそんな感じで良いよ、と思った。
追伸:写真は上がニューヨーク大学、下がコロンビア大学の卒業式。自分の大学のは、イサカにいる誰もがアップロードすると思ったので止めた。
2007年06月08日(金)
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