思考過多の記録
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2000年10月04日(水) 大切なこと

 いつまでも孵らない脚本家の卵である僕は、自分の脚本を上演するために不定期ではあるが芝居を打っている。劇団という形の固定した集団を持たないため、メンバーの顔触れは常に変動しているのだが、それなりに長いことやってくると、当然ながら多くの舞台に顔を出す常連さんとでも呼びたいような人も出てくる。そのうちの1人が、今年の2月の芝居を最後に暫く舞台を離れるという話になっていた。
 彼女は僕の出身高校の部活の後輩である。年が9歳も離れていることもあって直接の関わりはない筈なのだが、「指導」と称して僕がしょっちゅう部活に顔を出しているうちに仲良くなり、それが縁でまだ手探り状態だった僕の自前の集団の芝居に参加してもらって以来の付き合いである。彼女が現役時代から、僕が部活のために書き下ろした脚本の重要な役所をいくつも演じていた関係もあって、役者としての彼女と僕の脚本とはフィーリングが合っていた。彼女も僕の脚本を気に入ってくれていた。そういうわけで、折に触れて僕は彼女に芝居を手伝ってもらった。時には主役を演じてもらったこともある。ずっと一緒にやっていきたいと思っていたのだが、当時から社会人だった僕は、自分の活動の先行きに確信が持てているわけでもなかった。一方、芝居を極めたいと思った彼女は、高校卒業後に自分の得意分野である声優の道に進み、そこで舞台にも立つというちょっと変わった経歴をたどる。当時の彼女にとっては、芝居こそ全てであった。全ては芝居を軸に回っていた。だから彼女は、僕の集団に専属というわけにはいかなかったのである。
 それから何年かが過ぎ、彼女の周囲の環境も人間関係も変わった。彼女の属していた集団は解体し、彼女は舞台の制作会社に一時属したもののそこも辞めて、バイトに没頭し始めていた。そして同じ頃、彼女はある男性と付き合い出していたのだ。彼女にとって、もはや芝居は全てではなくなっていた。「舞台にいる時が自分が一番輝いていると思えなくなった」と彼女は言った。「私は芝居よりももっと大切なことを見つけた。それが彼との時間であり、彼と生活して子供を産み、家庭を持つということだ」とも言ったのだ。それが、彼女があれ程情熱を注いだ舞台を降りようと決めた大きな理由だった。
 僕はこれを知った時、「ブルータス、お前もか」と思った。かつて同じような理由で舞台を降り、芝居から完全に足を洗って結婚して母親になった女性が、やはり僕の身近にいたからである。そして、人の心は、時の流れの中で不可避的に移ろっていくものなのだと実感した。女性の多くは「家庭」を意識し、男性の多くは「仕事」を意識する。誰にでもそんな年代が確実にあるのである。それまで追い求めていた一番大切な「夢」を清算し、生産的であることを強いられる「現実」に生きるか否かの選択を迫られるのだ。そして多くの人は、自然に「現実」の道に進んでゆく。思春期に体が大人へと変化していくように、ここで人は精神的に「大人」に変わるのかも知れない。彼女もまた、より生産的な「夢」=「現実」を見つけたのだ。僕にはそれを否定することなどできない。ただ、少しだけ寂しいと思うだけである。それは、同志を失うことの寂しさである。そして、彼女はその男性と婚約をした。彼女の新しい「夢」の実現に向けての扉は開かれた。
 この2月、僕は彼女の結婚前最後の舞台を彼女と踏んだ。ここまでいろいろな形で一緒にやってきてくれたことへの感謝の気持ちも込めて、僕はまた彼女をメインのような役につけた。自分は得意ではないと言いながら、彼女はもはや中堅どころといっていいその力を遺憾なく発揮してくれたのだった。もしかすると、これが彼女にとって本当の最後になるかも知れないと僕は思った。
 そして、つい数日前、様々な事情から彼女はその男性と別れた。「自分にとって、芝居よりも大切なもの」であった彼との時間や、「夢」であったから彼との結婚生活を手放したのである。おそらく、今の彼女には大切なものは何もない。この先の人生で、彼女は再び自分を輝かせ、幸せにしてくれる「大切なもの」と出会えるのだろうか。それが「夢」であっても「現実」であってもかまわない。いつかそんな日が来てほしいと、「夢」と「現実」の狭間に生きる僕は心から願っている。


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