思考過多の記録
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2000年10月14日(土) |
自分の意思で人生に幕を引くことについて |
人によって長短の差はあるにせよ、天寿を全うした人間の死は、我々にに悲しさと寂しさを残すが、思い出してその人を懐かしむことができる。だが、自ら命を絶った人間の死は少し様相が異なる。 自殺者達に対して、世間の目は概して冷たい。「自殺=悪」という図式が、世間の人々の頭の中にしっかりとインプットされているようなのだ。その根拠は「親から(あるいは天・神から)もらった命を粗末にした(途中で捨てた)」ということらしい。もっともらしい理由である。だが生きていることが苦痛以外の何物でもない人間に対して、この理由と不確実な未来を示しながらなおも生きる続けることを強要することは、果たして本当にその人間のためになるのだろうか。それはその人に対する形を変えた虐待になりはしないか。 赤ん坊が生まれ出る時は、薬剤による助けを借りる場合は別として、生む側の母親の意思ではなく、生まれる側の赤ん坊本人の意思によって陣痛が始まるという。その人生の出発点においては、誰もが自らの意思で自然に生きようとしてた。羊水に守られた母の胎内を出てもなお、親や周囲の愛情に包まれていれば、生きることを疑うことなど思いもつかない。だが、やがて自我が芽生え、世界と向き合い、世間にもろに曝されるようになると、次第に生きるていることが困難に思える局面が出てくる。実際、この世は生きにくい。精神的・物理的に追い詰められることもある。その時に、自分の意思で人生に幕を引くことは、生きることと同じように万人に認められている「権利」なのではないか。この「権利」を行使するのは、実は容易なことではない。どんなに周到に準備をして決行の日取りまで決めていても、結局実行できなかったという例は結構あるだろう。だから、たとえ発作的・突発的に見える自殺でも、実際行われてしまったということは、そこに至るまでに本人は相当追い詰められ、人知れず苦しんだと考えるべきである。他人がそれに対して「自分勝手」「臆病者」「命を粗末にした」「そんなことぐらいで死ぬことはない」などとなじることはできないと思う。その人の事情は、その人にしか分からない。大体僕達は、物事をごまかしたり狡く立ち回ったりしながら日々を生きている。勿論、苦しみや痛みに耐えながらである。だが、だからといって生きている人間が自ら死を選んだ人間に対して優位に立つというわけではあるまい。生きていることは、それ自体は別に偉いことでも何でもないのだ。生きている人間は、ほんの少しだけ人生の苦しみ・悲しみと楽しみ・喜びのバランスを取るのが上手かっただけである。誰かに対する当てつけのために確信犯的に未遂を繰り返したりする人間などは別として、不可避的に死を選んでしまった人間を貶めることは、僕にはできない。 僕の後輩の知り合いで、かつて僕の芝居に出演してくれたこともある男性が、この春自らの手で命を絶った。最愛の妻と2人の娘を残して2度目の失踪をした挙げ句のことだった。遺書はなかった。誰一人として彼の自殺の動機に思いあたる人はいなかった。自分の愛する人達に何も語らず、全てを自分の中に抱え込んでいたのは、彼流の優しさだったのかも知れない。いずれにしても、彼の死は、残された者達に悲しさと寂しさの他に別のものを残した。それは、彼のことを思い出す度に、僕達の中に生まれる「痛み」である。その「痛み」を忘れずにいること、何故彼が死を選ばなければならなかったのかを問い続けること、それこそが彼が自ら幕を引いてしまった27年足らずの人生に対するはなむけとなる。波瀾万丈の末に天寿を全うした人間の人生は、無条件で敬われ、意味あるものとされる。同様に、自ら死を選んだという事実によって、強烈にその存在を残された者の中に刻印した人間の人生は、僕達に「痛み」通じて生きることを問い直す機会を与えてくれたことで、天寿を全うした人に負けず劣らず大きな意味を持つのだと思う。 僕自身、思春期の時期を中心に、これまで何度も死んでしまおうと思った。それを思いとどまらせたのは、生きることの素晴らしさでも命の大切さでもなく、単に恐怖心であった。そのことをある人に話したら、「死ななくてよかったね」と真顔で言われた。それ以来、僕は本気で死のうとは考えなくなった。そして今、僕には愛する人がいる。だから僕は、決して自分の手で自分の人生に幕を引くことはできない。
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