思考過多の記録
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一般に動物は、自分たちとは違う種や、同じ種であっても別の個体や、得体の知れない存在に対しては、恐怖心の裏返しとして攻撃的になったり、排除しようとするものである。勿論いつでもというわけではない。ポイントは、相手が自分の縄張りを犯しているか否かという点である。同じことは僕達人間にもいえる。人間は動物に比べて理性的だから、そのことがそうそうストレートに行動に表れるわけではない。ただ、人間の場合は「文化」だの「歴史」だの「宗教」だのが絡んだり、幻想が無意識のうちに心理的に影響を及ぼしていたりするので、ことはなおさら厄介だともいえる。 大正生まれの僕の祖母は、普段は非常に穏やかで、物分かりのよい優しい人である。ところが、その祖母が朝鮮人に対して非常に強い偏見を持っているのだ。昔の話をしているときなど、「朝鮮人は狡っ辛い。信用できない」とよく口にする。何でも若い頃、祖母の友人が朝鮮人と金銭的なトラブルになったことがあったらしい。詳細は不明であるが、どうやら商売のことで騙されて、お金を取られたらしいのだ。自分の友人という身近な人が被害にあったという体験は強烈なので、朝鮮人に対して悪い印象を持ってしまったとしても不思議ではない。が、冷静に考えてみれば、悪さをしたのはその人個人であって、朝鮮人だから悪さをしたというわけではないのだ。百歩譲ってその朝鮮人が日本人を騙すことを目的としていたとしても、そこにはおそらく、当時自分の祖国が日本の植民地になっており、国際的には抑圧者である日本人を恨んでいたという社会的な背景があってのことだったのは想像に難くない。それに、全く同じ条件下において、相手が日本人だったら百パーセント騙されないなどということはあり得ない。同様に、相手が朝鮮人だったら百パーセント騙されるということもない。そう考えてしまうのは「朝鮮人=悪人」というイメージに囚われているからである。 この類の偏見は現在も世界の至る所にあって、それが内戦や地域紛争等の火種になっているのは周知の事実だ。この国でも、ついこの間も首都を預かる元作家の知事が「日本には不法滞在の三国人(=外国人)が大勢いて、その多くが凶悪犯罪を引き起こしている」という趣旨の発言をして、物議を醸していた。これをメディアで聞いた多くの日本人が「そうかも知れない」もしくは「その通りだ」と感じたようである。統計上は、我が国の凶悪犯罪の検挙者中に外国人が占める割合は、一貫して1割以下である。にもかかわらず、あの裕次郎の兄の発言が共感を呼んでしまうのは、「外国人は怖い存で、放っておくと何をしでかすか分からない」という殆ど何の根拠もないイメージが、多くの人の中に無意識のうちに形作られているからであろう。最近は日本人の方が「何をしでかすか分からない」人が多いというのに、何故外国人にだけ警戒心を抱かなければならないのか。アジアやアフリカ諸国から来た人達に対して「汚い」「臭い」といって蔑んだり、暴力を加えたりするというのも、根は同じである。そこには、我々の中に潜む得体の知れない存在に対する恐怖感・嫌悪感と、それに裏打ちされた排他的思考や攻撃性が見て取れる。それを批判するのは容易いが、こういうものから自由になるのは非常に難しい。というより、殆ど不可能である。何しろ、同じ日本人であっても(勿論、他の国の人達も同じだろうが)、僕達はすぐにグループを作りたがる。そして、グループに近付く者に対しては、仲間か否かを識別し、よそ者と見なせば排除する。いじめがその顕著な例だ。いじめの対象だった人間が、対象が別の人間に変わるといじめる側に回るのが日常茶飯事であることからも、この嫌悪感と排他的思考が如何に人間の根本に関わっているかが分かるだろう。特に経済が傾いたり政情が不安定になったりして、社会全体にフラストレーションが溜まってくると、少数派である国内の外国人がそのはけ口にされる。嫌悪され、排除されようとする外国人達が、逆に排除しようとする多数派を嫌悪し、フラストレーションを溜めていくのは自然の成り行きだ。それを見て「外国人は怖いもの」というレッテルを貼って排斥しようとするのは、愚の骨頂といっていい。 大体我々日本人は、自分たちが蔑み、嫌悪し、恐怖し、排除しようとしている外国人を不法就労の3K職場で安い賃金と劣悪な労働条件で働かせ、しっかりとその恩恵を受けて生活しているのである。僕は自分も含めたこんな日本人に対してこそ、強い嫌悪感を覚えてしまうのだ。
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