思考過多の記録
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2000年12月18日(月) 小心者の罪

 僕を知っている人には意外に思われるかも知れないが(そして、僕をよりよく知っている人には理解できることなのだが)、僕は結構人見知りをするタイプである。初対面というのに滅法弱い。最近は年の甲(?)でだいぶ慣れてきてはいるものの、それでも苦手なことは確かである。営業職の人間などは、初対面も何のその、見ているとまるで十年来の付き合いであるかのように打ち解けて喋っていたりする。そういう人を見ると心底羨ましい。思うに僕のように人見知りをするタイプというのは、相手への警戒心を抱きやすく、それをうまく隠すことができない。相手がどんな人間か(自分にとって敵か味方か)を判断できるまでは自分をガードして、ある一定以上は近付けないようにしてしまうのである。また、自分から進んで相手の中に入り込んでいくことができない。早い話が小心者なのである。自分を晒す勇気がないので、相手が自分の扉をノックするか、無理矢理にでも開けてくれるのを待ってしまうのである。このように、人間関係に臆病というのは何かと損をすることが多い。時にはそれが誰かに影響を与えてしまうこともある。
 夕方、僕は地元の本屋で立ち読みをしていた。単行本の棚の前に平積みになっている本を物色していた時、ある本の山の上に自転車の鍵らしき物が置かれているのがふと目に入った。誰かが置き忘れていったのだろうか。気にはなったが、僕はその時手に買おうと思っている本を持っていた。取り敢えず誰か来ないかを確認して、僕は少し離れた文庫本の棚の前に移動した。もし誰も現れなければ、この本を買う時にレジへ持っていくつもりだった。
 そこで立ち読みしていると、暫くして1人の背の高い細身の女の子が店に駆け込んでくるのが見えた。僕は本を読むふりをしながら、視界の端でその子をとらえていた。中学生くらいだろうか。彼女は本棚の前を暫くうろうろした。ポケットに手を入れ、終いにはその場で小物入れのようなものを取り出し、中を探り出した。明らかに何かを探している。そして、ひどく焦っているように見えた。彼女と僕の距離は数メートル。いや、1メートルもないかも知れない。おそらく彼女の捜し物は僕がさっき見付けたあの鍵であろう。教えてあげるべきか。いや、しかしそれが全くの勘違いだったとしたら…。僕が迷った1分もない間に、彼女は僕の横をすり抜け、表通りへ走り去っていった。彼女が店を出たとき、一瞬立ち止まったときに見えたその横顔には、焦燥と絶望が入り交じって表れていた。
 なぜあの時、僕は彼女に声をかけなかったのだろう。「この鍵、あなたのですか?」たったそれだけのことである。もし間違いだったとしても、それは彼女にとっては何でもないことの筈だ。ごくわずかな、他人にとってはとるに足らないほどの恥ずかしさから逃れるために、僕は彼女の絶望を生んでしまったのだ。いい歳をして、一体僕は自分の何を守ろうとしたのだろうか。見知らぬ人間に対して反射的に守りに入ってしまう自分が本当に情けない。長年のうちに身に付いてしまった習性は、なかなか変えられないものである。いつも他人のことを偉そうに批判しているが、僕には本当はそんな資格はないのかも知れない。
 結局僕はその鍵をレジに預けてその店を出た。あの後彼女はどうしたのだろう。自転車に乗れずに家まで歩いて帰ったのだろうか。心当たりの場所を探した後、もう一度あの店に来て、レジの人に尋ねてくれればよいのだが。それとも全てを諦めて、自転車を捨てることにしたのだろうか。
 彼女の横顔が今も僕の目に浮かんでくる。他人から見れば、おそらく何ということもない些細な出来事であろう。しかし僕にとっては、自分が本質的には何も進歩していないことを思い知らされた、心に重い石でも入れられたような‘事件’であった。ここでそれを「告白」したからといって、この小心者の罪が赦されるわけもないのだけれど。


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