思考過多の記録
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2000年12月24日(日) 何となく、クリスマス

 クリスマスイブということで、日本の何処にこんなにいたのかと思うほど多くのサンタクロース達が、街角の至る所でクリスマスケーキを売っていた。街はイルミネーションで飾られ、華やかなショーウインドウの前をカップルや家族連れが歩いている。見慣れた年末の光景である。しかしよく考えてみると、このキリスト教の一行事であるクリスマスが、一体何故ここまでこの国に定着したのか不思議である。例えばこの国のオリジナルな宗教である神道の行事で、僕達が知っているものがいくつあるだろう。輸入品であるクリスマスの方が僕達には馴染み深く、元々この国にあった筈の「伝統的」な行事は忘れ去られている。
僕は何もここで日本的伝統の復権を説こうとしているのではない。考えようによっては、現在の日本のクリスマスのあり方は、きわめて日本的である。そもそもクリスマスはキリスト教に由来しているが、ヨーロッパの国々ではそれぞれの国の民俗的な要素(例えば土地の妖精等)と結びついて色々な行事が行われているようだ。贈り物の交換や子供にプレゼントをあげるというのもそういった習俗の中に位置づけられており、国によってはサンタクロースにあたるものが日本でいうナマハゲの要素も兼ね備えていたりする。ところがこの国では、そういった民族的な裏付けや、元々あったものと結び付いて変化したという形跡は見られない。強いていえば、ケーキ屋や玩具業界、はたまたその他の様々な産業や小売業界といった、所謂商業主義がベースになっているといえよう。クリスマスは恋人達にとって特別な日であるという思想も、この国の習俗とは何ら関係ない。おそらく誰かが時代の流れを読んで、商業的に仕掛けたのであろう。
物でも思想でも文化でも制度でも、そして神さえも、この国はこれまで海の向こうのあらゆる国から貪欲に仕入れて、無節操とも思えるやり方で社会に取り込んできた。それが悪いと言っているのではない。新しい服を買って着てみたら案外ぴったり合った。でも実は着方は自己流だった。そういうことである。それこそがこの国の「伝統的」なやり方である。本来国や社会や文化というものは太古の昔から全く不変であり、今を生きる僕達はそれを正しく受け継ぎ、次の世代に正しく伝える義務がある、などというものではないのだ。クリスマスにケーキを買ってクリスマスツリーにイルミネーションを点すのは、もはや立派な年末の「伝統的行事」である。かつての伝統文化とそれが全く切り離されているのは、この国の社会が大きく変わったことの表れなのだ。そう、クリスマスは今の僕達にとっての年に一度の「お祭り」なのである。
因みに、恋人のいない僕は、今年もこの祭りに参加できなかったのだった。


hajime |MAILHomePage

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