思考過多の記録
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2003年07月20日(日) 一艘の小舟

 演劇雑誌に、この秋3年半ぶりに僕がやる舞台のメンバー募集の告知を出した。1,2年前にも同じ雑誌に告知を出したのだが殆ど反響がなかったので、今回も同じだろうと思っていた。すると、発売日直後に僕の携帯留守電に1件、メールアドレスに1件の連絡があった。僕はそのうちの留守電の1件に、夜遅く帰宅してから電話をかけようと思ったら、ちょうどその人から電話がかかってきた。その人は、自分の電話番号を告げると、すぐにかけ直してくれと言い残して電話を切った。
 どういうつもりなのか分からない態度に少し当惑したが、とにかく話してみようと思い、僕は電話をかけ直した。



 相手は、まるで尋問のように僕と僕のこれまでの演劇活動についてきいてきた。初対面の人間に対して、そのようなきき方はないだろうという感じの物腰だった。そして、僕の演劇活動の経歴に対して文句を付け始めたのだった。そして、小劇団の活動全般にわたって「無意味だ」「金を取る価値はない」と決めつけた。さらに、「あなたが何故芝居をやっているのか分からない」などという言葉まで投げつけてきたのだ。「先が見えない」「展望がない」などとも言った。その人自身は、20歳にしてプロデュース公演を「商業的」にも成功させたと語っていたが、僕も含めた小さな劇団の芝居について「人に見せる価値のないものを、金を取って上演するのはおかしい」と毒突いていた。



 結局1時間程も話して電話は切れたが、何とも後味の悪い会話だった。いや、あれは会話などではなく、実質的に彼の「独演会」だったといえるだろう。きっと彼はこうしていくつもの小劇団に連絡を取り、そこの活動を批判しては、自分の絶対的な優位を確認しているのだろうと思う。そんなにも力のある人がそんな電話をかけていること自体が非常に不思議な話ではあるのだが。
 しかし、彼の言っていたことはある意味では正しい。そして、僕もずっと悩んできたことではある。社会人でありながら、「趣味」としての演劇ではなくあくまでも演劇そのものを追求したい、そしてあるレベル以上のクオリティを持ったものを作りたいということが、ある種の矛盾と曖昧さを持っていることは百も承知なのだ。そして、そんな僕がこうして芝居を続けることの正当性などについても、僕は今まで何度も考えたし、いろいろな人達と話し合ってもきた。僕の立場のこの曖昧さが活動を難しくし、固定メンバーを集められなかった大きな原因の一つであることも自覚している。



 けれども、そういうことを踏まえてもなお、僕にはどうしても芝居を諦めることはできない。これまでの活動の中で、ごく限られた条件の中ではあっても、成功だと言えることもあったし、まずかったと思うことも多々あった。そして、まだまだやり切れていないと言う思いも強くある。僕よりも若い世代が、同じように脚本を書き、芝居を作りながらそれぞれに認められていくのを目の当たりにしたとき、いろいろな意味で自分の力不足を感じると同時に、僕もまた、どれだけ時間はかかろうとも自分で納得のいくところまでは行きたいという思いを捨てきれないのだ。
 最終的にたどり着いたところが、他人から見れば箸にも棒にもかからないレベルだったとしても、それはそれで受け入れるしかないだろう。僕は天才ではないし、選ばれてもいない。だから、どこまで行けたのかが重要になる。耐えられないのは、動けないことによって追い越されてしまうこと、そして僕などいなかったかのように扱われてしまうことなのだ。



 そんな思いを抱えたまま、僕はもう1人の人と会った。
 僕達の集団名に惹かれたという彼は、僕の話を聞いて納得してくれた。そして、出演を承諾してくれたのだった。彼と別れて街へ出ると、祭りの行列が大通りを通過していった。激しく打ち鳴らされる太鼓のリズムが、僕の鼓動を呼び覚ましたように思えた。
 祭りが始まる。僕はそう思った。



 そしてその夜、その彼から携帯にメールが入った。彼が所属するプロデュース集団の代表者から
「そんな形で知らないところに出るのはよくない」
と強く叱責されたとのことで、参加の意思は取り消された。
 僕の祭りは、まだ始まらなかった。



 芝居をしようとする僕は、荒波に浮かぶ一艘の小さな船だ。こんなに広い海を、海図も持たず舵もなく、帆もエンジンもなく渡っていこうとしている。流れに任せながらどこにもたどり着けず、いつか砕け散るのだろう。そして、こんな船が波間を漂っていたことも、その形を失ってしまったことも、誰にも知られないに違いない。
 それでも、いつか波間に漂う破片を目にした誰かが、それがかつて船だったということを発見し、その航海を想像し、進もうとしていた意思に思いを馳せる。その時、僕の芝居は紛れもなくその誰かに伝わる。そんな誰かがいてほしい。それが僕のささやかな、けれど切実な願いである。


hajime |MAILHomePage

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