思考過多の記録
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2003年07月27日(日) |
「考えられない」人達 |
最近、政治家の無神経な発言(失言)が相次いでいる。ある政治家の失言について考えていると、すぐに別の政治家が失言するという感じだ。それぞれの失言の中身についてはまた別の機会に譲るが、これ程続くと、そのこと自体について何か言っておかなければならないという衝動に駆られてしまう。 失言がある度に僕が思うことは、何故これ程までに頭が悪く、デリカシーのない人間が政治家なのだろうということだ。一つ前の失言(こんな言い方をしなければいけないこと自体が情けないが)である鴻池防災担当大臣の「市中引き回しの上打ち首」発言を考えてみれば分かる。
まず、彼の発言には論理性が全くない。12歳の少年が罰せられないことがけしからんというのがもとにあって、そのこと自体は論議が分かれるところだ。そして、犯罪行為を行った少年の親に何らかの責任があるということは、多くの人が感じることかも知れない。だからといって親を人前に引きずり出して罰すれば問題が解決するのだろうか。答えは勿論「否」である。そんなことは、ある程度の分別のある大人ならすぐに分かることだ。しかし、鴻池氏はこういう事件が起きるのは『水戸黄門』などに代表される時代劇でお馴染みの「勧善懲悪」の考え方が日本人から失われたからだといい、その原因は「戦後教育」にあるというのである。そして、」だから親を罰しなければいけない、という結論になるのだ。
お分かりだろうか。ここには「触法少年の処罰の問題」「その親の責任の問題」「勧善懲悪という思想」そして「戦後教育批判」という、それぞれが全く次元を異にして相互に関係のないことが並べられている。普通に考えれば繋がるはずもないことを、鴻池氏は接続詞一つでいとも簡単に繋げて見せたのだ。もっとも、その後起きた氏に対する批判を考えると、この繋げ方を素直に納得した人はあまり多くはなかったようである。それが真っ当な感覚だと僕は思う。逆に、自民党議員を中心に氏を擁護する声があったという事に対して、僕は驚きを禁じ得ない。また氏によれば、氏の下に多くのメールが寄せられたのだが、その多くが氏の発言に対する共感や賛意だったというのだ。俄には信じがたい話だが、もし本当だとすれば、一体この国の人々の思考能力はどうなっているのかと、憂いを通り越して呆れ果てる他はない。
誰かが新聞紙上で分析していたが、ここにきて日本人の論理的に思考する力は急速に衰えている。なので、何か事件が起きると、それに対して世論が非常に短絡的な反応を示すことが相次いでいるのだ。凶悪犯罪を行った少年には厳罰を、拉致事件を起こして核開発を行う北朝鮮には制裁を、といった具合である。しかし、例えば少年犯罪にしても、ケースによって様々な背景があり、また社会全体の状況もある。罪を重くしたからと言って犯罪がなくなるわけではない。それなのに、親に社会的制裁を加えろとか、刑事告発ができる年齢を下げろとか、戦後教育や教育基本法が悪かったのだから変えろとか、非常に乱暴な論議が出てくる。 つまり、問題の根本的な解決などどうでもいいのである。そんなことに本格的に首を突っ込めば面倒くさいし、いつ解決されるかも分からない。場合によっては告発者・被害者である筈の自分達までが罪を背負うことになるかも知れない。それならば、手っ取り早く自分達以外の「悪者」を見つけ出してそいつに全ての罪を被せよう。そして、最も単純な「処方箋」を選んで、早く安心したい。そんな気分がこの社会に蔓延しているのだ。
政治家達は、こうした空気を敏感に読みとる。冒頭に僕は「頭が悪くてデリカシーがない」と言ったが、実は彼等はある程度計算してああいう発言をしているのである。勿論、事実誤認や思いつきによる発言も多い。しかし、それが今述べた時代の気分とマッチしていることを、政治家達は本能的に知っているのだ。 僕達は彼等の発言に顔をしかめる。けれど、それを受け入れ、喝采すらしてしまう人達もやはり存在している。だから彼等は平気で自分達の愚かさ加減を晒すような発言を得々として行っている。そして、実際彼等は次の選挙で再選されるだろう。
しかし、本来政治家の言葉はそんなものである筈がない。政治家こそ、論理的にものを考え、様々な角度からものを見て判断し、それをきちんと国民に説明できなければならないのだ。物事には簡単に解決でき、完璧に有効な処方箋などないこと。けれど政策としてはこのような選択をしたということ。そのことの利点と問題点。そういったことを丁寧に語らなければ、政治家としての仕事をしたとは言えない。 悪者を見つけ出して人々の憎悪と敵意をそこに向けさせ、ストレスを発散させることが政治家の役目ではないのだ。僕は失言を繰り返す彼等にも責任はあると思うが、スッキリしたいがためにそれを許している国民の側にも問題があると思う。 なかんずく、そんな発言をするような政治家を国会に送り出している選挙区の有権者達、そして後援会の人達の責任はきわめて重いと言わざるを得ない。鴻池氏をはじめとする失言政治家達が、今秋にもあると噂される総選挙で再選されるとしたら、この期に及んで彼等を選んだ彼等の選挙区の有権者達の見識と、日本の民主主義の「質」が厳しく問われることになるだろう。 勿論、僕達の思考能力の衰えがかなり深刻だということも、同時に露呈することになる。このことに関して、即効性のある完璧な処方箋がないことは言うまでもない。
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