思考過多の記録
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2004年09月10日(金) 多くの人にとっては当たり前のことが

 多くの普通の人は、結構当たり前のように恋人がいたり、結婚したりするもののようである。パートナーを見つけるというのは、実はそれ程難しいことではないのかも知れない。
 別に多くを望まなければ、お互いが一緒にいることを幸せと感じられる存在と出会うことは、とびきり特別なことではないらしい。今朝も満員電車の中、腰に手を回して抱き合う2人がいた。今週僕の職場に配属された若い女性アルバイトは既に結婚していた。そして、2年前まで同じ職場にいた契約社員の女性が間もなく結婚するのだと、数年前に結婚して二児の母となっている僕の職場の女性が教えてくれた。



 多くの人にとって、他の誰かから愛されるということは、人生の中で普通に起きる出来事のようだ。その人が愛を求めた時、それに呼応する相手がいた。それはごく自然の摂理のようだ。
 とすると、多くの人にとって当たり前であり、普通に起こる筈のことが、僕には起こらないのは何故なのかと考えると、それは僕に普通ではない何かがあるのだろうということになる。



 僕は人を惹き付けられなかった。誰かにとって特別な存在になれなかった。また、誰かにとって頼りになる存在でもなかった。誰かを守ることもできなければ、この人に賭けてみようと思わせることもできなかった。そして、この人といると幸せだと思わせることもできなかったし、実際に誰かを幸せにしてあげることもできなかった。



 少なくとも数年前までは、こういう状態に対して、悔しさも含めて「何故なのか?」と思いもあった。しかし、今現在こうした事実を前にして、僕が思うのは、「ああ、やっぱり」「それはそうだよな」ということである。そう感じてしまう自分に悲しさも感じるが、さりとて現実には勝てない。
 そして、現実が変わると信じ込むには、僕は十分歳をとりすぎている。また、その現実を完全に受け入れるには、僕はまだ十分に歳をとってはいない。



 多くの人にとっては当たり前のことが、自分には起こらない。
 僕はまだ、この世での自分の居場所を見つけられていない。


hajime |MAILHomePage

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