思考過多の記録
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2004年10月10日(日) |
They never learn... |
アメリカの独立調査委員会が、イラク戦争開戦の時点であの国には大量破壊兵器はなかったという調査報告を発表した。それだけではなく、アメリカ政府が当時声高に主張していたフセイン政権とアルカイダとの関係や、核兵器および化学兵器の開発・保有についても否定したのだった。いうまでもなく、これらは全てイラク戦争の「根拠」として米英両国、およびその同盟国である日本などが掲げていたものである。 いかなる理由によっても戦争は正当化されるものではないと僕は思うが、先頃の国連事務総長による「イラク戦争は違法」発言などとも併せて、あの戦争がますます無意味で、全く正当化し得ないものだったということが浮き彫りになってきている。
そして、そんな状況になっても、ブッシュ政権は戦争の「非」を認めない。いわく、「フセインが捕まったことで、世界はより安全になった」。 このコメントを聞いて、怒りを通り越して思わず失笑してしまった人は、おそらく世界中でかなりの数にのぼるに違いない。勿論、僕もそのうちの一人である。 そして、おそらく彼等は、戦争の正当化の「言い訳」としてだけそういっているのではなく、半ば以上本気でそう信じているようなのだ。そのことが、僕をいっそう絶望的な気分にさせる。
アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーが1955年に作った、あの有名な「花はどこへ行った」(原題;Where have all the flowers gone?)の歌詞には、
When will they ever learn?
というフレーズが繰り返し登場する。「いつになったら分かるのだろう」という訳が付いているが、僕達は本当にいつまでたっても学ばない。 そもそも「9.11」を受けて、頭に血が上ったアメリカ・ブッシュ政権が「テロとの戦い」を宣言したことがすべての始まりだった。それは、その後の世界各国で起こった一連のテロ事件の呼び水となったことは間違いない。よく言われることだが、軍事力で「テロリスト」を封じ込められると思いこんだアメリカは、アフガンに攻め込んでタリバン政権を崩壊させ、その後のあの国での混沌を呼び込んだ。 その後の展開は今さら述べるまでもないが、象徴的なこととしてあのイラク戦争と、その後の混乱がある。「フセイン憎し」と「石油の利権欲しさ」で始めた戦争のおかげで、そもそも国際的なテロ組織とは殆ど関係のなかったイラクに、そういう人達を呼び込み、活動の拠点を与えることになったのはその顕著な例だ。
大儀なき戦争の混乱の中、アメリカはまだ「力」に頼ろうとしている。「民主的な」選挙を実現させるため(それは、自分達に都合のよい政権を「民主的に」樹立するためなのだが)に、武装勢力の掃討作戦と称して一般市民を巻き込んだ戦闘を幾つかの都市で起こしている。しかし、テロは止む気配はない。それどころか、家を失い、肉親を殺された人々は反米感情を募らせいている。その人達の中から、新たなテロリスト=武装勢力の構成員が生まれてくる。 憎しみの連鎖=テロの再生産という泥沼に、アメリカは自らはまりこんでしまったのだ。しかも、世界を巻き添えにして。なおかつ、そういう事態になっていることに対して、ブッシュ政権(そして多くのアメリカ国民)はあまりに無自覚だ。少し自国の歴史を繙いてみるだけで、ベトナム戦争のように力に頼って方向を誤った事例をいくつも発見できるはずなのに。
When will they ever learn?
「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」。考えてみれば、これが人間の歴史だといってもいい。僕達は、すぐに過去を忘れる。そして、自分達のやり方をなかなか変えようとしない。憎しみが憎しみを生み、血で血を洗う争いが連綿と続いてきたことの根本には、そういうことがあるのだろう。その意味で、僕達は愚かだ。 あのイラク戦争だけをとっても、大量破壊兵器や危険な独裁者というありもしない「差し迫った驚異」のために、何人が命を落としたのだろうか。当事者であるアメリカは、自国の軍隊の死傷者数はカウントしても、イラク側のそれには全く興味がないようだ。 力の行使だけでは本当にテロ(または戦争)をなくすことはできない。テロ(または戦争)を生み出す根本の原因を分析し、それを解決することによってしかテロ(または戦争)を根絶することはできない。ずっと昔から、何人もの人々が口を酸っぱくしてそう言っているのに、彼等はいっこうに耳を貸そうとしないのだ。 勿論、そんなアメリカに尻尾を振ることしかできない僕達の国の振る舞いも、十年一日の如しである。 そして、もう何度目か分からない、愚かな繰り返しの中に、僕達のいる世界は巻き込まれている。
When will they ever learn?
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