思考過多の記録
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2005年01月08日(土) |
「空元気」にサヨナラ |
報道によれば、昨年末の「紅白歌合戦」の視聴率は過去最低だったそうである。「紅白」もその舞台だったとされるNHKの一連の不祥事で、視聴者が離れてしまったことが原因の一つとされているが、それ以上に「紅白」という番組の形式自体が時代にそぐわなくなってきていることが大きいのかなとも思う。
見るとはなしに見ていたのだが、今年は去年の「世界に一つだけの花」やその前年の「地上の星」のような、世代を超えて浸透した曲がなかったという印象を持った。僕などは知らない歌手が増えたし、かといって「日本の心」とやらの演歌にも共鳴しない。非常に宙ぶらりんの世代といえるが、では、結構「若者シフト」の紅白のメニューで肝心の若者が喜んでいるのかと言えば、そんなこともなさそうである。勿論、同じ世代の間でも嗜好は細分化しており、一つの世代の中ですら圧倒的な支持を持っているアーティストというのがいないというのが現状ではないだろうか。ふるい曲を歌う歌手が結構いたのも、このことの現れであろう。 要は、違った世代が集って一つの番組で盛り上がろうというやり方自体が成り立たなくなっているのだ。これは随分前から言われていることなのだが、2004年はこの傾向がより強く表れていたということなのかも知れない。
また、様々な色を持った多くの歌手を短時間でさばかなければならないため、曲ごとの見せ方がバラバラで印象が散漫になる。加えて、一つの曲が終わるとすぐ次の曲のコールがされたり、アナウンサーが喋り出したりするので、曲の余韻が台無しになる。本当に音楽を「消費している」という感覚なのだ。 音楽を楽しむためにも、「紅白」という形式はそぐわないし、ショーとして見ても無理があるのである。
そして、今年最も感じたのは、やたらと「元気を出そう!」というメッセージが溢れたことだ。「マツケンサンバ」に代表される、ただテンションだけが高い馬鹿騒ぎの曲が目立ったのである。あの曲などはまさにバブル時代の残滓という感じで、そんな時期を懐かしんでどうするんだ日本人!とテレビの画面に向かって叫びたくなった。 アテネオリンピックのメダリスト達をやたらと呼んでいたのもその流れである。しかし、世界や日本の現実の様々な情勢を考えた時に、それらのことがどうにも「空騒ぎ」としか見えないのだ。「紅白」自体もバッシングの対象になっているNHKが、士気の低下を恐れて一生懸命空元気を出そうとしているのではないかと穿った見方もしたくなる。
あらゆる意味で、今年は「紅白」と時代の空気のずれを感じた。1年の最後に、今年巷間で流行った歌をチェックするという意味ではなかなか便利な番組だったのだが、出場を辞退する大物アーティストも結構いて、今やその機能すら果たせていない。 かつては「国民的番組」などとも言われたのだが、今や一部の「紅白オタク」の番組に変質しつつあるというのが実態ではなかろうか。 もはや「空元気」ではどうにもならない状況が僕達の世界を覆い尽くしている。それに対して本当に音楽が力を発揮するためには、もっと別のあり方、表現の仕方がある筈である。 今の世界の状況に対して、「紅白」が無効であるのは勿論だが、「空元気」を振りまくことが主流の今の日本の音楽状況も、決して有効とは言えない。そのことに気付かなければ、日本の音楽シーンはますます閉塞状況に追い込まれていくのではないだろうか。
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