思考過多の記録
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2005年07月05日(火) |
時の流れと空の色に何も望みはしない様に |
今回の芝居で、僕はある役者さんと出会った。 その人のことを、僕は数年前に一度だけ舞台上で見かけ、その後ネット上で少しだけ話をしていた。 そして今回、彼女は僕の芝居のメンバーとなった。初めて出演を要請するために会ってからほぼ半年、稽古に入ってから2ヶ月足らずの間だったが、僕と彼女は、他の仲間達と共に同じ時間を共有し続けた。 そして彼女は、僕が二度と開けるまいと固く決意していた、心の奥底の「愛」の扉を、いとも簡単に、ごく自然に開けたのだった。
本当のしあわせは目に映らずに 案外傍にあって気付かずにいたのですが…。
かじかむ指の求めるものが 見慣れたその手だったと知って
あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを 守る為なら少し位する苦労もいとわないのです。 (椎名林檎『幸福論』)
そう、あまりにも自然に、彼女は僕の心の奥に浸透した。 彼女と話していると、あまりに自然体で、あまりに無防備で、それでいてとても心地よい自分でいることに気付いた。よく思われようという気持ちも、自分を過大評価も過小評価もしない、そんな自分がいることに気付いた。 そして、気付いた。 彼女こそ、僕が自然に寄り添える女性(ひと)なんじゃないかと。
公演最終日、開演直前の舞台袖で、僕と彼女は抱き合った。その前の日、いつもは握手だけの開演直前の「宜しく」の挨拶で、彼女は初めて僕の背中に手を回した。みんながやる軽い抱擁だった。しかし最終公演の前、彼女は腕に力を込めた。僕も、彼女を抱いた腕に力を入れた。 それは、最終公演前の高ぶった気持ちがさせたことだったのかも知れない。 けれど、僕はそのとき決心した。 劇場の舞台袖ではなく、日常の世界で、彼女を抱きしめようと。 そして、気付いた。 僕は、きっと彼女を愛しているのだと。
彼女は、ときにやりすぎるくらいのパワーで、僕の芝居を支えてくれた。同時に、そんな彼女に、僕自身精神的にどれだけ助けられたか分からない、 そんなことに対するお礼と、そして、僕の素直な気持ちを、どうしても彼女に伝えたいと思った。それをしなければ、絶対に後悔すると思った。 そして僕は、彼女に「愛」という言葉を使わずに、愛を伝えた。少なくとも、そうしたつもりである。 風邪気味だった彼女は、自分の許す時間いっぱいいっぱいまで僕に付き合ってくれた。そして、素直に僕の言葉を受け止めてくれた。少し戸惑っているようだったが、戸惑いながら、喜んでくれているようだった。 夜、僕はだめ押しのようなメールを送った。翌日、彼女からのレスはなかった。
そして、今夜。 再び僕は何気ないメールを彼女に送った。程なく、彼女からレスがあった。 それだけだったが、僕は十分に幸福だった。 彼女が、同じように幸福だったらいいのにと、少しだけ思った。
もしも彼女にこの思いが通じなかったとしても、彼女と出会えたこと、そのことだけで十二分に僕は満たされる。 彼女が存在すること。そのこと自体が僕に勇気を与えてくれる。 今の僕には彼女のために何も出来ないけれど、それでも僕は、惜しみなく彼女を愛し続けようと思う。今、その気持ちを僕は抑えることが出来ない。それなのに、僕はとても自然体だ。 高ぶっているのに、穏やか。彼女は、ごく自然に僕の心の扉を開けたのだ。 人を愛するなんて何年ぶりだろうか。でも、そんなことを意識させない程、彼女の存在は、ごく自然に、僕の奥底に浸透していく。
時の流れと空の色に何も望みはしない様に 素顔で泣いて笑う君のそのままを愛している故に あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します。 君が其処に生きているという真実だけで 幸福なのです (椎名林檎『幸福論』)
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