思考過多の記録
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2005年07月10日(日) ロンドンから東京へ

 七夕の夜、今回の芝居の主演女優と美味しいお酒を酌み交わしている時、ロンドンで同時爆破テロが起こった。通勤時間帯の地下鉄とバスが狙われ、多くの無関係の市民が巻き添えになった。犠牲者の数は今後も増えそうだという。
 テロが憎むべき犯罪であることは論を待たないが、実行犯を追い詰め、捕まえるだけでは物事が解決しないのも事実である。
 犯行声明が信用できるものかどうかは別として、今回の事件の背景にも、ニューヨークからマドリードへと続く都市でのテロ事件と同じ構図が透けて見える。アメリカの有志連合に対する攻撃だ。また、今回のテロがサミットの時期を狙い撃ちしたものだとすれば、そこにはもう一つ、「経済格差」というものも絡んでいるだろう。



 ブレア首相がいくら「今回のサミットでは貧困問題の解決も主要なテーマだった」と言ってみたところで、それがあくまでも「先進国」=経済的に豊かな国々の視点からのものであることを、貧しい国の人々は知っている。結局G8の国々(勿論日本も含む)は、援助の見返りやそこに眠る資源の分け前にありつくことを期待している、いやむしろそれを主に追求しているに過ぎない。まるで、ほどこしの札束で頬を叩きながら、相手の懐に手を突っ込んでいるようなものだ。そんなことは、もう世界中の人々が見抜いている。
 そして、国際社会を事実上牛耳っているのがこれらの国々だとすれば、彼等のやり方に対する異議申し立てが、まともな手段によっては不可能だと考える人々が出てくることは必然である。



 もともと貧困などの問題があったところに、「宗教」「人種」という差別や偏見という新たな要素が加わり、その土壌の上に「テロ」の種は撒かれる。さらにその上から、ご丁寧にも「テロとの戦い」という強行手段が生み出す「憎しみ」という養分が与えられるわけだ。
 これでテロが起こらない方が、むしろ不思議である。
 何度も言うが、問題はテロを生み出す土壌が存在し続けていることであって、それを取り除かない限り、警察力や軍事力で押さえつけようとしても、永遠にいたちごっこが続くだけである。テロリストや武装勢力の人間を1人殺せば、おそらく2,3人の新たなテロリストが生まれるのだ。



 僕はついこの前上演した『Stand Alone』という作品で、この武装勢力(テロリスト)のことを取り上げた。そこでは、主人公で武装勢力ナンバー2の女が、戦いの中で仲間や大切な肉親を殺され、何もかも失ってしまった時、今までとは違う生き方を選択することで僕力と憎しみの連鎖から降りていく姿を描いた。
 僕の中では、それは綺麗事ではない。本当に暴力の応酬を終わらせ、物事を建設的に解決していくためには、どんなに遠回りでもそれが最も確実な方法なのである。それは、どんなに強力な武器を持っていても、決して自分達の生命と安全を守ることができないことと同じである。本当の平和は、戦力の完全なる放棄によってしか訪れ得ない。



 本当の意味でのテロとの戦いとは、人々が暴力によってしか現状を変え得ないという深い絶望を抱くような構造を、一刻も早く変革していくための営みである。強い意志と、勇気と、そして英知を結集しなければこの実現は困難であろう。しかし、本当に世界が恐怖と憎悪から解放されるためには、遠回りでもそれを着実に推し進めるより他に、有効な手だてはない。治安対策の強化は、本来はそれを補完する役割に過ぎないのだ。



 ロンドンの次は何処が狙われるのだろうか。ブッシュの「犬」・小泉を首相にいただく我が国の首都・東京の名も、既に囁かれ始めている。『Stand Alone』は、東京都内で日本人の武装勢力が、白昼に路線バスを襲撃して乗客を拉致するところから物語が始まる。そんな世の中が、もしかするともうすぐそこまで迫っているのかも知れない。
 あの都市で起きたことが現実になるかも知れない。僕の脚本の世界が現実になるかも知れない。僕達の「今、ここ」はそんな場所なのである。



 僕達がするべきことは、何だろうか。


hajime |MAILHomePage

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