思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
梅雨が明けたばかりの日曜日の夕方、僕は僕の愛する人と会った。 前に会ったときは風邪をひいていた彼女だが、漸く体調は正常になったようだった。まさにそのとき、僕は彼女に自分の思いを伝えていたのだ。そして、彼女と実際に会うのはそれ以来だった。 ここまでの数週間、メールの遣り取りはあったが、それは僕の方からの一方的なものが多かった。彼女に対する強い思いや、これといって意味のない何気ないものまで、僕はいくつかのメールを送ったが、彼女はそのいちいちにレスをしてこなかった。そして、僕はそれでもいいと思った。
彼女は僕の思いをどう受け止めたのだろうか。 彼女と僕の他は、その場に立ち会った人はいない。したがって、第三者は必ずしも正確な分析が出来るわけではない。同様に、その場にいた当事者の僕と彼女が、各々認識したその場の状況の姿が、僕と彼女の関係性の真実を映しているわけでもない。そんなわけで、真実はこの状況を直接的に、または間接的に知っている人間の一だけ存在するとも言えるのだ。 彼女に対して僕の思いは伝わっていないという人もいれば、きっと分かっている筈と言う人もいる。そしてまた、僕が彼女に対して明確な「答え」を求めなかったことに対しても、ではあなたはどうしたいのかと問う人もいれば、現時点ではそれで正解だったという人もいる。ここでも真実は意見を述べる人の数だけあるだろう。 しかし、いずれにしても、僕と彼女はある一つの道を選ばざるを得ないということもまた、明確なる事実だ。それが、いつになるのかは、今のところ誰にも分からないのだが。
あんなことがあって初めて会ったというのに、彼女は戸惑いもせず、その口調に影がさすことはなかった。ただ彼女は、真っ直ぐに僕を見た。僕もまた、気恥ずかしさも、決まりの悪さも感じなかった。そして、僕と彼女は、新宿の雑踏の中を並んで歩き始めた。 そして彼女は、いつものようにお腹を空かせていた。 歩き始めてすぐに見付かった店に入り、テーブルを挟んで向き合ったときも、僕と彼女は驚く程平常心だった。どうしてこんなに気持ちが落ち着いているのか、自分でもよく分からなかった。そして、不思議なことに、気持ちは全く高ぶっていないのに、僕は彼女の存在それ自体に惹きつけられていた。 僕はよく話し、彼女はよく食べた。
「私は器用じゃない」と彼女は言った。それは、僕がまた一緒に芝居作りをすることの可能性について語っているときだった。それは確かに、僕の望んでいた答えとは違っていたけれど、不思議と僕は絶望したりしなかった。そして、以前ならばその言葉から僕自身と距離を置こうとする意味を感じ取って、打ち拉がれたり動揺したりしただろう。しかし、僕はそんな精神状態にもならなかった。 それどころか、僕は彼女の存在の確かさをますます強く感じ取っていた。それは、僕の心の奥の奥にある扉を彼女がいとも簡単に開けることができた理由とも繋がっているように思える。 そして、だからこそ僕には、きっとこの関係性はそう簡単には途切れないという、何の根拠もないのに反論の余地もない程正しいように思われる予感がある。 あの日、彼女が真っ直ぐに僕を見たこと。彼女が語る言葉に余計なニュアンスが含まれていないこと。それだけで、今の僕には十分なのである。
彼女の存在を前にしたとき、「好みのタイプ」などという議論が如何に空虚なものかが分かってくる。 舞台の上では突拍子もなさや力強さが強調される彼女だが、僕の目の前にいる彼女のたたずまいの中には、僕は凛とした強さや女らしい柔らかさや、可愛さや美しさやのエッセンスが紛れ込んでいるのを感じる。 何故僕がこんな気持ちになったのか、今もって僕は説明することができない。それをどう伝えるべきなのか、彼女にどんな「答え」を求めるべきなのか、僕には分からない。そしてたぶん、彼女は「答え」を持ってはいない。 それでも僕は彼女に、何物にも代え難い、そして隠れもない、彼女自身がそこに存在することを感じる。そこにこそ、僕と彼女が出すべき「答え」に至るヒントが隠されているように、僕には思えてならない。
|