思考過多の記録
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2005年07月31日(日) 芸と気迫

 『笑いが一番』というNHKの園芸番組の公開録画に、観客として参加してきた。日曜日の昼間という時間帯に相応しく(?)どちらかというと世間的には賞味期限の切れてしまったような芸人さんばかりが出演する。具体名を挙げると何かと差し障りがあるかも知れないが、例えばB&Bとかテツandトモといった感じだ。ニュアンスは理解してもらえると思う。
 要は、旬が過ぎてしまった芸人さん達だ。人気も力も絶頂期を過ぎているが、知名度はある。そんな人達である。そしてNHKは、そういう人達しか使えないという宿命を持っている。



 今が旬であり、人気絶頂の芸人さん達は、特にお笑いの場合、毒やアクが強すぎるので、「皆様の」という冠がつくように、万人に広く受け入れられるようなものしか提供できない公共放送のNHKに出演するのはきつい。尖ったものは、世間にはなかなか受け入れられないのである。
 芸人さん達の芸が徐々にメジャーになり、やがて消費され、それにともなって角がとれてくると、漸く世間は彼等を認め始める。すると、次には「定番」としてNHK的な世界で生き延びるという道が開けるのだ。勿論、誰もがそうなれるわけではなく、角を落とすことが出来ないままに、やがて飽きられ、忘れ去られていく芸人さんの方がずっと多い。たけしのように、ある程度毒や癖を残したまま生き延びられるのは希有な存在である。
 世間に受け入れられるために、「ある程度面白い」ことを目指して丸くなるのか、それとも尖ったままで世間に自分たちの芸を問い続けるのか、これはなかなかに難しい選択であろう。そして、丸くなったからといってみんながみんな世間に受け入れられるとは限らないことは言うまでもない。



 僕自身は、彼等の芸を生で見るのは初めてだった。テレビでは何回も見たことがある芸人さんもいたので、ある程度の予想はついていた。しかし、実際に生の芸に接してみて、僕はそのパワーに驚かされた。正直言って、ネタとしては特別面白いとは思わないものが殆どだったが、それを演じる彼等の存在感は圧倒的だった。テレビの向こう側にいる人達を惹きつけるためには、このくらいのパワーやオーラが必要なのだと実感した。やはりテレビは、空気や雰囲気といった多くのものをカットしてしまう。だからこそ、それを凌駕するだけの力を持っていなければ生き残れないのだ。
 そう考えると、この人達が「旬」であり、尖っていた頃のパワーはいかばかりかと思われるのである。勿論、ただパワーがあるだけではだめで、例えば江戸屋子猫師匠のように、確かな技術に裏打ちされていなければ世間はすぐにそれを見抜く。



 「お笑い」というと、エンターテインメントの分野では一段低く見られがちだが、人を感動させるより笑わせる方がずっと難しいのはよく知られている事実である。よく「天然」というが、「天然」はキャラクターが飽きられたらお仕舞いである。笑いを突き詰めるためには相当な計算と、確かな技術、そしてキャラクターと、いろいろなものが揃った状態になっていなければならない。NHK的な世界で生き延びられる人というのは、ある意味それがバランスよく保たれている人達なのだろう。その意味では、確かにつまらないかもしれないが、その状態をキープし続けられているということにおいて賞賛に値する人達だし、なかなかその域に達するのは難しいのだと思う。



 目の前にいるお客さんを確実に楽しませることに前身全霊を賭けている。「定番」の位置にいる筈の彼等からは、ある種の気迫がひしひしと伝わってきた。もうかなりのお歳である内海佳枝師匠の芸も、種類としては古いが決して枯れてはおらず、そんな気迫に満ちていた。
 それは、当たり前のことだが、彼等が‘プロ’だからであろう。
 思った以上に楽しめたと同時に、いろいろなものをもらえた気がする貴重な時間だった。
 と、僕に思わせた彼等の芸は、やはり本物だったのだろう。


hajime |MAILHomePage

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