思考過多の記録
DiaryINDEXpastwill


2005年08月24日(水) 小泉茶番劇場の忙しい観客達

 郵政解散、だそうである。今月初めに参議院が郵政民営化法案を否決し、小泉首相が「民意を問う」という理由で衆議院を解散してからというもの、自民党の「造反議員」の動向や新党結成、はてはホリエモン立候補まで様々な動きが報じられている。しかし、肝心の郵政民営化問題の中身についての議論が深まったとは、お世辞にも言えない状況である。世間の耳目を集めるのは、というよりもメディアが好んで報道するのは専ら政治的な動きであって、法案の内容や問題点等はどこかに忘れ去られたようである。
 そして、小泉首相お得意の「ワンフレーズ・ポリティックス」の叫び声だけが列島に響き渡る。
「郵政民営化賛成か、反対か。それを問う選挙だ!」



 そもそも、郵政事業は何故民営化されなければならないのか。
 このことについてきちんとした説明をした政治家は、小泉首相自身も含めて殆どいない。当然のことながら、それをきちんと理解している国民も殆ど以内だろう。
 小泉首相が、そして郵政民営化賛成の人々が言うことは殆ど同じである。
 曰く、税金の無駄遣いをやめさせる。民間に出来ることは民間に任せる。そうすれば、より効率的な事業が行え、サービスが向上する。そして、かつての国鉄の例を出したりする。甚だしくは、「郵政事業が役人にしかできないというのは、『官尊民卑』の考え方だ」などと、訳の分からない決めつけ方をする(これは、首相自身の発言だ)。
 そして、多くの国民は、これまで大して郵政事業について考えてもこなかったし、問題だとも思っていなかった。だから、こうした‘分かりやすい説明’=乱暴な決めつけは耳に入りやすい。しかも、自分達から税金をふんだくってのうのうとしている役人達を責める言葉だ。次第に「そうかも知れない」「その通りだ」と思う。



 多くの国民は、知識も少ないし、思慮も浅い。そして、忙しい。
 ついつい小泉首相のような手法を、旧勢力の抵抗を押し切って改革を断行するために戦っている英雄のそれと見間違う。ついつい小泉首相を、新しく、強い国を作って自分達を導いてくれる指導者と信じ込む。その勇ましい言葉は、自分達が言いたくても言えない気持ちを、自分達に変わって叫んでくれているのだと思い、溜飲を下げる。そして、彼と、彼の率いる自民党を熱烈に支持する。重要な論点がすり替えられていることなど、思いも付かない。
 その結果が何をもたらすのか、立ち止まって深く考えることもしない。
 何しろ、多くの国民は忙しい。
 小難しいことを言ったり、たくさんのことを考えなくてはならないようなことを言う政党の党首の言葉など、はなから聞く気もないし、聞いたとしてもそれを理解する時間も思慮もないのだ。
 かくして、反対派との分裂選挙をものともせず、自民党は地滑り的な勝利を収めるだろう。
 その後に、一体何が起こるのか。ことは郵政民営化だけではすまない。そして、そのツケは、自民党を支持していない国民にも回る。



 僕は、郵政事業の民営化に反対でも賛成でもない。国民新党にも新党日本にも賛同しない。
 ただ、小泉首相のあのやり方に、そしてその術中にまんまんとはまってしまっているかに見える多くの国民の反応に、これまで以上の危うさを感じるだけだ。
「郵政民営化(本来は、郵政民営化法案に、と言うべきだが)に賛成か、反対か」
という、「白か黒か選べ」式の論の立て方は本当に乱暴だ。まるで、「正義と悪」に世界を色分けしてテロとの戦いに突っ込んでいったブッシュのアメリカを彷彿とさせる。そして、その図式の単純さに人々の思考は停止する。



 本来なら、何故郵政事業は民営されるべきなのか、した場合のメリットとデメリットは何か、しない場合は何が問題なのか、その問題は民営化すれば本当に解決するのか、民営化がベストな選択なのか、等々について、緻密な議論がなされ、その情報やデータが全て公開されなければならない。そうでなければ、国民はきちんとした判断が出来ないのである。そういうものが必ずしも十分に与えられない中で、例えば竹中大臣の
「郵政民営化に反対なのは、公務員でいた方が楽だと思っているからだ。」
といった全く推測に過ぎない、雰囲気だけの言葉が国民の耳に届く。すると、恰も小泉内閣は「構造改革」を推し進める「改革派」=正義の味方で、それに反対する者は「守旧派」=悪者という印象だけが、多くの国民に植え付けられる。
 そんな「白か黒か」の図式の中で「郵政民営化の選択」が行われることになるのである。つまり、郵政事業の中身とは全く関係がない「その時だけの印象」で、政策(そして政権)が選択されてしまうのである。そして、そんな無茶苦茶なことをしようとしていることに、多くの国民は気付かない。
 第一、これまで財政投融資を通して郵便貯金が無駄な公共事業に流れてきたのは、官僚のせいというよりも、官僚を使って利権を得る道具にしてきた政権政党=自民党の議員達だった筈だ。その同じ政党が、ちょっと目玉の候補を立てただけで「改革派」の政党面しているのは噴飯ものでさえある。そして、こんな単純な目くらましにさえ、多くの国民はいとも簡単に騙されてしまう。



 ヒトラーを例に引くまでもなく、いつの時代も弱い立場であるはずの大衆は、強い指導者を待望し、熱烈に支持する。そして、彼のすることと発せられる言葉に酔いしれる。
 強い者と同化すると、自分達も強くなったように錯覚してしまうのだ。
 小泉首相は勇ましく戦う。しかし、自分達のために戦ってくれていると思っている多くの国民は、実は自分達の生活の基盤を脅かされていること、そしてこの国の将来が歪められていることが見えていない。
 反対する言論を封じ、排除する。それが「毅然とした態度」だとして評価さえされる。いつしか、自分達自身の口さえ封じられることには考えも及ばない。
 自分達を攻撃している人間を、英雄として応援し、弾丸の補給さえしてしまう。
 ここは、そんな人達の国になってしまっているのだ。
 小泉首相が仕掛けた茶番劇を感動巨編だと思い込み、拍手喝采する。本来主役である筈の自分達が観客席に座らされていることに、何の疑問も不満も持たない。そんな人達の国なのだ。



 何しろ、多くの国民は忙しい。そして、勿論僕も。


hajime |MAILHomePage

My追加