思考過多の記録
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元来僕は、他人との摩擦を避けようとする傾向が強かった。それで「優しい」などという見られ方をされているわけだが、何のことはない、単に臆病なのが実態である。この文章を読んでいる限りではそんな印象は持ちようもないだろうが、いざ本人に面と向かってしまうと、相手との関係性が壊れることを恐れる気持ちの方が強く働く。それで、オブラートに何重にも包んだ言葉を選びがちだ。
そんな僕なのだが、こと芝居に関しては、最近そうでもなさそうだということが分かってきた。昨年の芝居でも、僕と行き違った人をメンバーから外している。ある種の‘誤解’というか、ある事象に関しての受け取り方の違いがあったのだが、そのことでお互いにもやもやしたまま一緒に芝居を作ることはできないと判断したのだった。結局、その人との関係はそこで終わった。 最近も似たようなことがあった。それも、芝居を巡っての考え方の違いだった。最初からそういうことは確認しておくべきだったのだが、お互いに微妙な距離を保っているときはなかなかそういうことは表面化しないものである。その人も場合も、創作上の共同作業をするには相応しくない亀裂が入ったと判断したため、決断した。何もその人のことが人間的に嫌いになったわけではないが、お互い芝居は重要な位置を占めているため、それ以外の関係だけ取り出して続けることはできなかったのだ。
元来摩擦を好まない僕だが、かつて高校時代に、文化祭の運営の仕方に異議を唱えるために、全校生徒と教師が出席していた文化祭の閉会式を止めたという‘武勇伝’がある。このときは、運営の実務を担っていた文化祭実行委員会の人達から睨まれ、逆に実行委員会に批判的だった生徒会役員の人達から歓迎されるという、実に分かりやすい結果になった。部活の後輩で、それなりに仲の良かった文化祭実行委員の人は、それを境に僕と口をきかなくなった。 摩擦を起こさないことを重視するなら、自分にごく近い人達と‘愚痴’を言い合って不満を解消しさえすればよかった。そうすれば、件の後輩とも良好な関係が保てた筈だ。しかし、それでは済まされないと思える何かが、きっとあったのだと思う。
「テロとの戦い」に突き進むブッシュ大統領や、郵政民営化を掲げて選挙で大勝した我等が小泉首相は、世界を「白と黒」、「敵と味方」に色分けする。立場の異なる二つの勢力が争い、摩擦が引き起こされ、「正しい」勢力が最終的に勝利を収める(勿論、それは自分達が取っている立場の側だ)というストーリーだ。そこには「寛容」という概念はない。それを僕は批判する。 しかし、僕自身、自分が「正しい」と思う立場に立って、相手を排除してきているのである。勿論、相手と分かり合おうとしたり、落としどころを探ろうとしたりしてきた。しかし、最後には、自分の意見や立場を押し通すために、相手との関係を切ってきたのである。相手と分かり合えなかった。それは自分にも責任があるのだが、それでも僕はある立場を選ぶしかなかった。 そこには摩擦が生まれ、相手も僕も傷付いたのだった。
とはいえ、摩擦を回避することだけを考えていたのでは、物事は進まないというのも事実である。回避されるべき摩擦もあれば、回避されてはいけない摩擦もあるということだ。曖昧にしておけばそのうちうやむやになることもあるが、逆に矛盾が大きくなって最悪の結果を招くこともある。 だからといって、何でもかんでも摩擦を引き起こせばいいというものではない。世の中にはそういう人間も存在しているが、それはそのことによってしか自分の居場所やアイデンティティを確立できないという場合が殆どだ。摩擦のための摩擦、対立のための対立は、本質的な問題ではない。
僕がこれまで起こしてきた摩擦、そしてこれから起こそうとしている摩擦は、自分の「信念」に基づいていると思っている。できるだけ人間関係を悪化させたくない僕が、敢えて引き起こす摩擦は、そういうものでしかありえないし、そうでなくてはいけないと思ってる。 しかし、「信念」と言えば聞こえがいいが、それは今イラクで起こっている宗派間の対立や、「西欧対イスラム」のような対立と根本的には同じだ。「信念」とは、その人にとっての個人的な「信心」=「宗教」のようなものである。そこから逃れるのは並大抵ではない。そして、十人いれば十通りの「宗教」がある。それらはなかなか相容れない。そこに、摩擦は発生する。 ことに、創作活動というジャンルを選んでしまった以上、こうした摩擦は不可避である。 勿論、日常生活の至る所に、摩擦の火種は燻っていることは言うまでもない。
摩擦は、恐れなくてはいけないし、恐れすぎてもいけない。そのさじ加減が分かるまで、僕はあといくつの関係を壊し、何人を傷付け、何人から傷付けられなければならないのだろうか。 そんな思いを胸に、また新たに関係性を断ち切ることになるかも知れない刃物を、僕は握りしめている。
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