思考過多の記録
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その電話は、昨日の夜、出先に唐突にかかってきた。久しく会っていない後輩の名前が液晶画面に表示されたとき、僕には意味が分からなかった。そして、彼女が話していることが、さらによく分からなかった。 僕も知っている彼女の友人から連絡があり、その友人宅へ、やはり僕の後輩で僕の芝居にも出演してくれていた女性の死を知らせる葉書が、その女性の父親の名前で届けられたと、僕の後輩は告げた。後輩も、友人も、その女性とは久しく音信不通だったため、いったいそれがどういうことなのか、事実なのかどうか分かりかね、とりあえず一番連絡を取っていそうな僕に確認を求めてきたということだった。
そのとき僕の頭の中に、いつだったかに会った彼女の、痩せ衰えた姿が蘇った。体力がなくて、ここまで出てくるのが精一杯だったと、彼女は言っていた。 後輩からの電話を受けたとき、僕は別の人と話をしていた。自分の知り合いが亡くなったらしいと言った僕に、相手は軽く「あ」と言っただけだった。その人は、その女性とは全く面識がなかった。 相手が席を立ってから、僕は彼女の実家に電話をかけた。出てきたのは、僕も会ったことがある彼女の妹さんだった。「お姉さんのことですが…」と切り出した僕に、妹さんは「葉書、着きましたか?」と言った。 それで初めて、僕は後輩の電話の内容が事実だったと分かったのだった。 彼女の死の日付は、先月の26日になっていたそうだ。つまり、彼女はもはや骨になっていたのだった。
僕と彼女の出会いは、18年前に遡る。それ以来、僅かな期間を覗いて、僕と彼女は何らかの形で連絡を取り合っていた。彼女は現役の高校生時代に2回、そして高校卒業後に2回、僕の書いた役を演じた。 ファミレスや飲み屋で話し込んだ時間ははかりしれないほど長い。ランチタイムが終わる頃に入店し、そのまま夕食を食べて夜遅く店を出るということを、いったい何回繰り返しただろうか。高校入学から病に倒れるまで、その波瀾万丈な人生を、僕はかなり近くから見続けてきたし、時にはその目撃者ともなった。 一昨年の秋、既に体調を崩し気味だった彼女は、個人作品の発表のための合同公演を行ったが、そのときに共演者になったのが僕だった。たった1日、1時間にも満たない1回限りの小さな舞台だったが、結果的にこれが彼女にとって最後の作品となった。 終演後、近くの飲み屋で小さな打ち上げがあった。しかし、終演時間自体が遅く、すぐに終電の時間になった。「始発までカラオケボックスとかで付き合ってもいい」と彼女に引き留められたが、あまり体調のよくなかった僕は終電に乗るためにビール1杯で中座した。 もしもこの日が来ることが分かっていたら、朝まで一緒に語り合いながら飲んだものをと、今更ながらに悔やまれる。
彼女の不在を、僕に電話してきた後輩も、そして僕も、まだ実感できない。おそらく、横たわる彼女の亡骸を目にしないまま、情報だけが僕達にもたらされたからだろう。実感のないままに、僕とその後輩は電話で喋り続けた。きっとこうして冗談を交えながら喋り続けないと、どうにかなってしまうかも知れないと、僕は知っていたからなのかも知れない。分析を続けることだけが、迫り来る悲しみの刃を鈍らせることができるのだ。 はたして、後輩との電話を切り、電車に乗り込んでから襲ってきた沈黙の中で、彼女の「死」という事実が、僕にのしかかってきた。小説か何かで読んだ表現だったと思うが、それはまさに僕の頭に張り付いた状態になった。正気を保とうと僕は自分に言い聞かせた。そうすればする程、彼女が駆け抜けた短いけれど激しい人生の重みが、そしてその不在が、僕を支配していった。 彼女を知らない人には、その不在が「あ」というリアクションしかもたらさない程の、どこにでもいる一般人としての彼女の存在。そして、にもかかわらず、そこに刻まれた彼女の軌跡。そのときふいに、どんなに無名でどこにでもいると思われる人間でも、意味のない人生を送っている人間などいないのだという思いが、満員電車に押し込まれた僕の中で湧き上がってきたのだった。
僕は彼女にゆかりの人達へ、お知らせのメールを打った。次々に返信されてくる驚きのメールが、彼女の不在の衝撃波が伝わっていく様子を表しているようだ。そして、それらを受けたと同じ携帯のメールボックスに、亡くなる10日ほど前に彼女とやり取りした最後のメールが残っていた。 最初にその文面を見たとき、僕は何か奇異なものを感じた。何故ならそれは、死の床についた人間が、自分の人生を振り返って書いたような内容だったからだ。そして、そこに書かれていた僕への言葉も、なにやら遺言めいた言葉遣いだった。思えばそのとき、彼女は既に自分の死期を悟っていたのかも知れない。あの世に旅立つ前に、この世を振り返ってみた。そんな匂いがした。 そして、彼女が食欲もなく、外出することも人に会うこともままならず、ずっと実家で静養していたという事実と、あの痩せ衰えた姿と、メールの文面から、僕にもある種の‘覚悟’が無意識のうちにできていたのではなかったかと、今となっては思われる。だからこそ、僕は今も正気を保っていられるのだろう。
家に帰った僕を迎えたのは、おそらく後輩の友人が受け取ったものと同じ、彼女の父親の名前で書かれた葉書だった。その宛名書きの文字を見たとき、肉親のどなたが書かれたのか分からないけれど、その字体のどことはいえないどこかに、彼女の独特な筆跡の面影を僕は感じ取った。 僕の元には、彼女と作った芝居のビデオや、そのときの写真、高校時代の彼女の写真、肉声を納めたテープやMDなど、彼女の生きた痕跡を残すものがたくさん残された。僕の演劇活動を記録しているWebサイト上にも、彼女の写真や彼女との活動の記録、そして彼女自身の文章が今もアップされている。 彼女があの世へと旅立ち、もう姿形が消え去った今、それを知らせる葉書が届く。そして残された僕は、彼女の記録に囲まれて、人生の存在を彼方に感じる。それはまるで、消えていった星の光が、長い年月を経て地球に届くのに似ている。 僕は今、失われてしまったものを感じているのだ。
彼女のことを語らせたら、おそらく僕は饒舌だろう。彼女の死にまつわることも、おそらくたくさん書けるに違いない。しかし、どれだけ言葉を連ねても、何か手応えがない。何も表現できない。 それが一人の人間の「死」ということなのだろう。と書いてみて、やはり何も表していないこの虚無感に、僕は呆然とするばかりだ。 この週末、僕は彼女の実家を訪れ、彼女の遺影と対面する予定だ。
そのときこそ僕は、彼女の不在と本当に向き合うことになるのだろう。
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