思考過多の記録
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2007年06月22日(金) 立ち止まり中

 ここを読んでいただいている方には随分と報告が遅くなってしまったが、僕は今会社を休んでいる。もうかれこれ3ヶ月は経つだろうか。
 発端は、そのとき自分が担当していた書籍に対する、上司からの指導だった。この職場に異動して1年以上が経ったが、仕事の仕方に対する組織だった、かつ系統だったトレーニングを殆ど受けないまま、僕はずっと仕事をしてきた。そしていよいよ、その課、そして部としてのの主力賞品である書籍を担当することになったのである。
 何もかもが初めての経験なのに、「そんなことは分かっている筈でしょう」という形でまともな説明も受けないまま、できないのは、そして進行が遅れるのは、僕自身の力量のせいということにされていた。



 ある日、なかなかゲラの内容が定まらないことに苛立った僕の上司(50代独身女性)は、僕とマンツーマンで赤字の内容や入れ方等を、一つ一つ事細かに指導し始めたのである。それは、その日の午後1時過ぎから始まり、途中30分程の休憩を挟んで午後10時半過ぎまで続いたのであった。しかも、それでは終わらず、翌日も約2時間ほど、その指導は続いた。指導の間中、僕は担当としての至らなさを指摘され、赤字の入れ方がなっていないと罵倒され、こんなことはみんな普通にやっているのに何故あなたは出来ないのと辱められ続けた。
 それも、別室ではなく、部室の中の打ち合わせスペースでそれは行われた。同じ部のみならず、低いパーティションを隔てた隣の部からも丸見えの席だった。まさに見せしめとしか言いようのない状況だったのである。
 その後も僕とプロダクションとのやり取りのたびに、その上司は僕に文句を言い続けた。思い通りのものがプロダクションから出てこないのは、あなたの指示が悪いのだ。上司の結論はいつも同じだった。
 そうしてやり取りをして何か問題が起きれば、僕は外部とやり取りしている部の担当者からも怒られた。あの数ヶ月、僕は誰かから怒られない日はなかった。
 ストレスが、今までとは違ったペースで確実に溜まっていくのが、僕には分かった。



 同じ時期、僕は組合の書記長に選ばれた。これは僕にその能力があったからではなく、単に人がいなかったのである。初めての事だらけで分からないことが多い上、うまく委員長をサポートすることも出来ていなかった。そのことも、僕にはストレスになっていた。
 そして3月半ばの春闘の第1次団体交渉の日。僕は午後から寒気がし始めて、これは風邪をひいたかなと思った。交渉は夜の9時近くまで及び、その後僕と委員長と担当者が、翌日の朝に撒く組合のビラの作成と点検を行った。
 会社を出たのが11時近く。風を浴びたとたん、激しい寒気が僕を襲った。
 やはり風邪をひいたんだと僕は思った。
 それから1週間、熱は下がらなかった。熱冷ましを飲んでも、夕方には38度を超える日々が続いた。医者で血液検査をしてもらったが、特に異常はない。しかし、今にして思えば、これは僕の体が発したSOSだったのである。この間も、仕事のことで上司から何回か電話があった。何か問題が持ち上がって、それを処理したというような内容だった、そんなことは出社してから伝えてもいい筈なのだが。
 熱も下がり、出社しようとしたものの、突然気分が悪くなり、いけなくなる日が2日ほど続いた。既に、休みは1週間を超えていた。今日こそ、と起き出して朝食をとろうとしたが、何故だか気力が湧いてこない。張り詰めていた糸がぷっつりと切れたような状態とは、こういうことを言うんだろうと思った。


 そんなこともあろうかと、僕は前日にカウンセリングの予約をしていた。これは、組合の上部団体が増えてきているメンタルヘルス問題の対策のために、あるカウンセリング業者(こんなことばがあるのか?)と契約を結んでいたものを利用したのである。
 僕より少し若めで、ちょっと気弱そうにも見える男性のカウンセラーは、僕の話を一通り聞いてから、
「あなたは、ストレスの原因になっている上司と離れた方がいいと思います。そして、あなたの今の状態は、もう診療内科にかかる段階に入っています。これ以上傷が深くならないうちに、今の段階での受診をお勧めします。」
 そうして僕は、もらった一覧表の中から、住んでいる場所に比較的近いクリニックを見付け、そこにかかることになった。
 診断は、「鬱っぽいけど、神経症。不適応。」
というもの。1ヶ月の自宅療養が必要と診断され、さらに6月末までその期間は延びた。



 そんなわけで、今僕は会社に行っていない。
 処方されているのは、たぶん精神安定剤の類と胃薬、そして睡眠導入剤である。
 最初の一月は本当に何にでも苛々していた。今まで溜まっていたものを吐き出すかのようだった。しかし、時間が自由になったこともあり、ドライブしたり映画に行ったり人と会ったり旅に出たりと、これまでやろうとしても出来なかったこといろいろとすることができた。そのお陰か、薬の効果か、最近はだいぶ落ち着いてきている。とはいえ、7月からの職場への完全復帰は難しいと僕も医者も考えている。



 今回こういうことになってしまって、まだこの先どうなるか分からないが、人生で久々に、本格的に立ち止まることが出来たことの意味は、決して小さくないと思う。
 その辺に関しては、またおいおい書いていきたいと思っている。


hajime |MAILHomePage

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