思考過多の記録
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2007年08月03日(金) 美しい、この国の姿

 「小沢さんを選ぶか、私を選ぶか!」と安倍首相が絶叫したその結果がはっきりと数字になって現れてから、もう何日もが過ぎた。しかし、選ばれなかったはずの安倍氏は、まだ首相の座に居座り続けている。



 就任以来、彼の目指す「美しい国」とやらに向かって彼の行った政策は、どれも国民の方を向いていなかった。第一、小泉改革の副作用としての「格差」が浮き彫りになり、ワーキングプアやニートが社会問題化しているときに、「美しい国作り」「戦後レジームからの脱却」などといったスローガンがいかに空疎なものであるか、彼よりも国民の方が先に実感していた。ただし、当初国民は若さや清新さといった本来政策とは何の関係もない理由で安倍「お友達」内閣に高い支持率を与えた。これが首相を増長させたことは想像に難くない。
 「格差」に目を配ったつもりの「再チャレンジ」という方策にしても、「格差」を是認した上でのものであるから、そもそも再チャレンジしようにもできない人間が多数いることへの認識と配慮が全くなかった。



 その一方で安倍内閣は、企業減税や労働ビックバンへの布石等、大企業にばかり目を向けた施策を打ち出した。
 企業の活動が活性化すれば、景気が回復し、その恩恵を国民全体が受けることが出来るというのが安倍氏の政策の根本にある考え方だが、今日発表された労働経済白書によれば、企業が得た収益が労働者にうまく再配分されていない実態が明らかとなっている(これが選挙前に発表されていたら、自民党の票はさらに減っていただろう)。すなわち、ここでも安倍氏の政策は机上の空論であることが証明される。成長の成果は企業や株主だけが受け取れるシステムを、安倍内閣は作り上げていたのだ。これは国民相手の「詐欺」といってもいいだろう。



 安倍内閣が力を入れているという教育問題においても、その施策は全くのピンぼけ、というより害悪ですらある。「教育再生会議」なる教育の素人集団を組織し、全くの印象論から生み出された具体的な法案の内容は、それは酷いものばかりであった。何しろメンバーはワタミの会長やヤンキー先生といったいかがわしい面々ばかり(ヤンキー先生は、さっさと会議を抜けて代議士に転身するというおっちょこちょいぶりだ)。議論が非公開なのは、きっと公開したら読むに耐えない中身のなさだからであろう。
 それが安倍氏の趣味にとどまっていればいいのだが、教育基本法の改正に始まり、教育バウチャー制度や教員免許更新制度等、他国で既に失敗していたり、教育の根幹を変質させるような法案に結実し、衆参の与党圧倒的多数下で中身のある論議もせずに次々と強行採決した。
 教育だけではない。国民投票法案や、米軍再編に絡む自衛隊法の改正等、これからの国の形を、ということは我々国民の運命を決める法案が、雑ぱくな審議の下、いとも簡単に多数の力で強行採決されていった。
 年金の問題にしても、既に40年前から浮いたり消えたりしていたというではないか。この間、一時を除いて政権にあったのは自民党である。安倍氏もその中枢にいた。そのことを忘れてしまったかのように、「社保庁の責任」→「公務員制度改革の必要性」とまるで第三者的な立場であるかのような言い方をする。自分を正しい立場の側に置くこの論理のすり替えも、教育制度改革など様々な局面で多用された。
 この状況は、安倍氏が選挙での敗戦をうけ、自身の進退問題への質問に対して答えた言葉と一致する。



「私の内閣の基本的な政策や方針は、国民の皆様に支持されていると確信している。」



 国民は、安倍内閣の施策・政策に「ノー」と言ったのだ。それを目の当たりにして、この発言である。国民の審判よりも、自分自身の「確信」とやらの方が重いし正しいと、彼は語ったに等しい。
 だとすれば、選挙とはいったい何なのか。有権者とはどんな存在なのか。多くの国民の声よりも、自分の信条を貫くのが政治なのか。
 安倍首相の今回の一連の言動や態度、そしてここまでとってきた政治的手法は、民主主義の否定以外のなにものでもない。そういう意味での「戦後レジームからの脱却」は、安倍氏はとっくに果たしていたのだ。



 だが、これはひとり安倍氏だけの問題ではない。
 先に指摘したように、国民は当初、安倍内閣に空前の支持を与えた。
 もっと遡れば、小泉・竹中が推し進めてきた政策が、今現れてきている「格差」を生み出し、この国の根幹を破壊するものだったことに、もっと早く気付くべきだったのだ。ここまで問題化するほど酷くならなければ、また年金や増税といった形で自分達の身に直接降りかかってこなければ、政策の本質を見抜くことができない国民の側にこそ、この国の問題の本質が潜んでいるのである。
 そんな国民だから、居座ってもそのうち今回の経緯を忘れてくれるだろうと、安倍氏は高をくくっているのかも知れない。小泉から直伝の「鈍感力」とやらは、すっかり安倍氏に染みついてしまったようだ。
 マスコミの関心は、既に自民党内部と同じで「内閣改造」に移っている。しかし、国民の審判を無視した状態がこのまま続いていいのか、ジャーナリズムはもっともっと問題にすべきだ。それをしないのは、マスコミ自体が国民をなめているということにもなる。



 そして、政治家からも官僚からもマスコミからも、なめられても仕方がない行動をとってきた国民がいる。
 美しい。ここはまさに醜悪なまでに美しい国である。



 国民が今回の選挙で感じた怒りや違和感を持続できるか、民主党が真に国民の側に立った政策を打ち出せるか。ここが、今回の選挙がこの国にとって大きな「岐路」となるのか、それともいつもの「真夏の珍事」で終わってしまうかの大きなポイントとなる。
 もしこれでも安倍政権が長く続くようであれば、本当にこの国はお終いだろうと思う。


hajime |MAILHomePage

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