思考過多の記録
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2008年10月03日(金) |
自民党三題馬鹿話 その2 |
小泉純一郎元首相が引退を表明した。全く無責任なやつである。 理由は、「総理大臣の時に一生懸命やったので、もうこれ以上はできない。」というもの。そのくせ、「政治活動は続ける。」というのだから、何が何だか訳が分からない。
今更いうまでもないことだが、「自民党をぶっ壊す!」と叫んでいた小泉氏による所謂小泉構造改革によって、自民党どころか日本の国そのものがぶっ壊れてしまったことは記憶に新しい。というか、その後遺症は今でも続いている。 そのことに対して、国会議員の職を辞するに当たり、何か総括をすることが求められるのは当然のことだ。 改革には必ず功罪があるが、小泉改革の場合は「罪」の部分がかなり大きいことは最近になって漸く指摘され始めたところだ。 ワーキングプア、社会保障制度の劣化、医療制度の崩壊、企業のモラルハザード等々、全て小泉改革の「副作用」とでもいえるものだ。そして、その影響を最も受けるのは、お年寄り等社会的弱者であることは、論を待たない。
こうしたことに対して、一体どう考えるのか。 道義的な責任をどうとるつもりなのか。 小泉氏は一切語らなかった。 殆ど「やり逃げ」の状態である。彼の頭には、今でも「郵政民営化」しかないのではないか。その郵政民営化でさえ、徐々に制度的欠陥が明らかになりつつある。 折しも麻生政権は、「小泉路線」からの明確な修正を打ち出している。 その内容はともかく、「このままではまずい」という空気が、当の自民党内からも出てきているのだ。 しかし、よく考えてもらいたい。あの頃、面従腹背の輩も含めて、小泉構造改革に基づく政策を着々と実行していたのは、他でもない自民党(と公明党)議員達なのであった。そのことをまるでなかったかのようにして、手のひらを返すように「財政出動」の大合唱とは片腹痛い。 国会議員は、小泉氏も同様だが、健忘症であることを求められる職業のようだ。
改革改革と叫んでいた小泉氏だが、最後に旧来の政治家の顔を見せた。 自分の次男を後継に指名したのである。 国会議員の世襲については批判も多い。にもかかわらず、厚顔無恥にも小泉氏はその世襲を行おうとしている。そういえば、小泉氏の父親もまた政治家だった。まるで北朝鮮の「王朝」ようである。 先に書いた「罪」、僕にいわせれば万死に値する「大罪」を犯しながら、まだ「政治」にしがみつき、あまつさえ自分の息子にその地位を継がせようとするなど、盗人猛々しいとはこのことだ。 「鈍感力」もここに極まれり、というところだろうか。 このような悪質な政治家に熱狂的な声援を送り、高い支持率で支えた国民こそいい面の皮である。 これで小泉の息子が当選したら、その選挙区の有権者の見識が問われることになろう。
いずれにせよ、この国を引っかき回すだけ引っかき回し、その結果責任もとらずにさっさといなくなった小泉純一郎は、悪名高き政治家として、そしてそれを熱狂的に支持した国民は衆愚政治の手本として、後世に名を残すに違いない。 繰り返すが、彼の行った「改革」の傷跡はあまりにも大きく、その修復には長い年月と多くの弱者の犠牲を伴うだろう。
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