思考過多の記録
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2008年11月14日(金) Change!

 アメリカの次期大統領が、バラク・オバマ氏に決まった。
 初のアフリカ系大統領の誕生である。これは画期的なことだ。アメリカの歴史をひもとけば、黒人をはじめとする有色人種がどれだけ迫害を受けてきたかが分かる。あの有名なキング牧師の「私には夢がある」という演説からかなりの時が流れた。
 オバマ氏は、選挙戦を通じて「Change」を叫んでいたが、それが第一段階で現実のものとなった。そして、彼等の合い言葉「Yes, we can!」もまた、正しいことが証明された。
 アメリカは、少なくともマケイン氏が選ばれた場合よりは、国際的な信用度が上がり、自信を取り戻したであろう。



 よく言われることだが、オバマ氏を大統領にした陰の立て役者は、ブッシュ政権の8年間だった。ネオコンと呼ばれる人達が政権の中枢を占め、市場万能主義の元、福祉を切り捨て、金持ちを優遇した。また、無謀にして大儀なき二つの戦争を起こした。CO2削減目標を盛り込んだ京都議定書に参加しなかったり、国際軍事裁判所の設置に反対するなど、自分勝手な行動も目立った。
 その結果、国内的には貧富の格差がいっそう広がり、サブプライムローンが破綻して家を失う人が増えるなどした。また、そういうリスクの高い債権を組み込んだインチキ金融商品を世界中にばらまき、今現在問題となっている世界的な金融システムの混乱を招いた。
 また、アフガンとイラクの二つの戦争はどちらも泥沼と化し、どちらも引くも地獄、残るも地獄という状態になっている。そして、多くの兵士や民間人の命が失われた。
 今やブッシュ政権の支持率は歴代ワースト1を記録している。



 「大きな島国」と言われるアメリカ人といえども、自分達の頭に幾重にも火の粉が降りかかってくるに及んで、漸く政権を、つまりは国の政策を「Change」しなければならないと気付いたのだろう。
 勿論、そこにはインターネットを活用したオバマ陣営の巧みで地道な選挙活動があった。これもまた大統領選史上画期的な方法であったし、そうして草の根に浸透していくほどに、オバマ氏の政策というか存在そのものが、多くの人を引きつけたのであろう。
 とはいえ、代議員数でこそオバマ氏はマケイン氏を大きく引き離したが、得票率ではそれ程の差はなかった。まだまだ白人保守層や富裕層を中心に、「黒人大統領」への拒絶感は強いのだろう。
 オバマ氏にとっては、こうした人達にも納得してもらえるような、それでいてドラスティックな改革を如何に断行していけるかが今後問われる。



 今日、ブッシュ大統領は市場万能主義を擁護して見せたが、「カジノ資本主義」とまで言われた投機マネーの跳梁跋扈を招いた新自由主義が破綻したことは明らかだ。今後、オバマ新政権は当然そこからの脱却をはかるだろう。
 翻って、我が日本は、小泉政権の元、当時の竹中経済財政担当大臣の指揮下で新自由主義の路線をひた走ってきた。
 その結果、日本社会は壊れた。「改革なくして成長なし」と小泉氏は叫んでいたが、「改革」をしても「成長」どころか、アメリカ同様貧富の格差を拡大させ、社会保障やセーフティネットは「自己責任」の元に縮小され、挙げ句の果てにアメリカ発の金融危機にまともに巻き込まれるという、とんでもない結果になっている。
 この点に関しては、是非「戦犯」である小泉・竹中両氏の謝罪の言葉を聞きたい。



 僕はこのブッシュ政権の間、アメリカを批判する文章をここでたくさん書いてきた。
 勿論、オバマ氏が選ばれたことによって、全ての問題がたちどころに解決されるわけではない。人種間・宗教間の対立は今後も続くだろう。二つの戦争の後始末にも相当手こずるに違いない。しかし、アメリカはこうしてちゃんと「Change」する力を持っている。そのことを、アメリカ人は世界に示した。
 このことに関しては、敬意を表するべきだろう。
 少なくとも建前上は、アメリカ建国の精神である民主主義は死んではいなかったのだ。



 アメリカと似たような状況になっている日本だが、果たして「Change」する力は国民にあるのだろうか。
 よく聞かれる言葉だが、「自民党は嫌だが、民主党は頼りない」とかいうのは、僕は「Change」を恐れる言い訳に過ぎないと思う。今回の給付金の顛末を見ても、自民党だって十分頼りない。
 繰り返しになるが、何より「失われた10年」以降の自民党の政策によって、国民の暮らしは確実に苦しくなった。それでもなお現政権を支持するというのは、質の悪いニヒリズムか思考停止としか言い様がない。
 おそらく、日本の国民が「民主主義」というものを戦後アメリカから「押しつけられた」ために、その精神が完全に根付いていないのだろう。また、ヨーロッパ諸国に見られる「主体性を持った個人の連帯」にも乏しい。今、日本のネットを支配するのは、オバマ氏の支持者達のような社会変革を現実のものとするための横の連帯ではなく、「ぷちナショナリズム」と言われるような、匿名性に守られた上での無責任で非常識な、言論とも呼べない言論と、それを許す共犯関係だけである。



 日本が「Change」する日は来るのだろうか。
 オバマ氏の勝利演説の格調高さと、漢字を読み間違えるべらんめえ口調の似非セレブ首相の違いを見るにつけ、政治意識におけるアメリカ人と日本人の意識の差が分かる。
 古くから言われていることだが、国民は自分達に相応しいレベルの政治家しか持ち得ないのだ。
 しかし一方では、プロレタリア文学の「蟹工船」が再評価される等、地殻変動の兆しはある。
 それを表に出し、大きな流れにしていく力こそ、日本国民は今こそ発揮すべきではないだろうか。
 さもなければ、我々の置かれている状況は悪くなるばかりである。それを甘んじて享受する我慢強さより、変革の意思を我々は持ち、それをアメリカのように行動に移すべき時期に来ていると、僕には思えてならない。
 我々に本当にそれが出来るのか?
「Yes, we can!」
 そう言える日が来ると信じたい。


hajime |MAILHomePage

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