思考過多の記録
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2008年11月22日(土) |
「見えない憎悪」と「暴力」に支配されている国 |
元厚生省(現厚労省)の事務次官夫妻と、別の元次官の妻の殺傷事件から何日かが過ぎた。 犯行の詳細などが徐々に明らかになりつつあるが、奇妙なことに犯行声明が出てこない。 この事件は、ターゲットがいずれも厚労省がらみの人物のため、厚労行政に恨みを抱く人物による政治的な事件である可能性が高まっている。また、その手口から、かなりの殺意を持った人物であることも分かってきている。 そうなれば、犯人は自らのメッセージを社会に知らしめるために、また自らの影響力を誇示するために、何らかの手段で犯行声明を出すのが普通である。 しかし、この事件の場合、今のところ犯人は沈黙を守っている。
無差別殺人で最近よく聞かれるキーワード「誰でもよかった」という「殺すこと」自体が目的の犯罪とは、今回は少し違うと思う。 ターゲットに共通点があることが偶然とは思えないからだ。 犯人は、周到に計画を練り、実行したに違いない。 しかも、指紋は残さずに足跡だけ残していることも不気味だ。 自分が捕まってもいいと思っているのか、逃げおおせることを意図しているのか、どちらともとれるからだ。
こうした事件があり、関係者の自宅に警察官や警察車両が24時間警備のために常駐しているのを見ると、改めて日本は「見えない憎悪」と「暴力」に支配されている国だと認識させられる。 この事件の前に、道を歩いていた人が目を刺されて意識不明になる事件があった。これは不特定多数を狙った、所謂「誰でもよかった」事件の例である。 こうした所謂通り魔的な事件は、ここ数年確実に増えている。 この「見えない憎悪」は、格差や不景気といった社会的背景の中で、やり場のない「怒り」や「閉塞感」が日本社会を覆っていることを示している。今や、社会の至る所に地雷や起爆装置があって、それが時々事件となって爆発している状態なのだ。 本来、こうした人々のすさんだ状態を鎮めるのは、精神的には宗教、現実世界では政治の役目なのだが、今の日本ではどちらも機能していない。 だから、非正規雇用労働者の中から、「希望は戦争」などという、究極の「暴力」を望む声さえ出てくるのだ。
元事務次官とその妻の殺傷事件を考えても、厚労行政とは最も生活に密着したものだ。それに対して何らかの不満を抱いている人物の犯行と仮定するなら、決して犯人の肩を持つわけではないが、現在の厚労行政が一般の国民のことを本当に考えたものになっているのか、政治はもう一度振り返って考えた方がよい。 もしかすると犯人は、厚労省のみならず、官僚機構そのものをターゲットに考えている可能性も捨てきれない。 だとすればそれはまさに政治的テロリズムである。 これは「誰でもよかった」殺人とは、明らかに一線を画す。
今回の事件が、日本の社会のある意味での転換点になるようなことのないことを祈るのみである。 僕達は、間もなくルビコン川を渡ろうとしているのだろうか?
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