思考過多の記録
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2009年02月22日(日) それでも、希望は、革命。〜『チェ 39歳別れの手紙』〜

 チェ・ゲバラの半生を描いた映画の後編、『チェ 39歳別れの手紙』を見た。
 この作品は、キューバ革命を成し遂げた後、新たなる革命の地を求めて、盟友であるカストロに一通の手紙を出してゲバラがキューバを出国したところから、ゲバラが処刑されるまでを描く。



「まだ私を求めている人達がいる。だから私は、ささやかながらその人達に力を貸そうと思う。君はキューバの指導者だからできない。しかし、私にはそれができる。」
 そんな内容の手紙をカストロに書いた後、ゲバラはキューバの閣僚の座を放棄し、1965年に出国(これは僕の生まれた年だ)。1966年に身分を偽ってボリビアに入国した。
 当時のボリビアは、レネ・バリントス軍事独裁政権下にあった。
 ここで反政府武装勢力と合流。山中に潜伏する。しかし、武装闘争に懐疑的だったボリビア共産党からは援助を受けられず、農民達も革命軍には冷淡で、次第に食料が乏しくなってきた。
 『チェ 28歳の革命』の時に見られた、食料を運ぶ兵士達のシーンは、本編では極端に少なかった。
 兵士達の士気も決して高いとは言えず、諍いを起こしたり、食料を勝手に食べたり、戦闘の途中で逃げ出したりする者もあるという体たらくだった。
 それでも何とか隊をまとめようとするゲバラだが、なかなか思うようにいかない。通信機が水で使えなくなってしまったり、カストロからの援助も滞った。
 炭坑夫達がゼネストをするというので、それに呼応しようとするが、それは政府軍によって潰されてしまった(ストに参加した炭坑夫達は虐殺された)。



 そして、今回は「あの国」の影がちらつく。
 自国の「裏庭」にこれ以上共産主義政権を作らせないため、アメリカが動いたのだ。
 アメリカ(CIA)は特使を送って軍事政権にてこ入れし、ゲリラ対策を伝授。国軍兵士にゲリラ戦の訓練を施した。
 また、農民達も、軍に情報を提供するなど、自分達を虐げているはずの独裁政権に協力した。
 キューバ革命の時のように、村や首都でデモが起きることもなかった。
 このため、ゲバラ達は苦戦を強いられることになった。激しくなり始めた喘息の発作も彼を悩ませた。
 別れた隊同士の連絡がつかなくなったり、移動中に軍の待ち伏せ攻撃にあったりして、多数の兵士が傷付き、命を落とした。
 そして、農民の密告により、1967年10月8日、ボリビア・アンデスのチューロ渓谷という場所で、圧倒的多数の政府軍の攻撃を受け、ついに身柄を拘束される。



 ゲバラは渓谷から離れた村に連行され、そこの農家に監禁される。
 この時、見張り役の青年兵士との会話のシーンがあるのだが、これは史実かどうかは分からない。
 その兵士は、自分の叔父がゲバラに処刑されたと明かす。
 ここで兵士が、
「共産主義者も神を信じるのか。」
と尋ねたのに対して、ゲバラは、
「ああ、キューバでは人々は神を信じている。」
と答える。続けて兵士が、
「あなたは神を信じているのか。」
と尋ねると、ゲバラはこう言う。
「私は、人間を信じる。」
 ゲバラは兵士に、
「縄を解いてくれ。」
と頼むが、兵士は動揺し、外に出てしまう。
 この兵士の行動にはいろいろな解釈があろう。僕も何通りか考えたのだが、どれも本当らしく、またそうでもなさそうに思えた。



 そして翌日、その村に軍の幹部とともにヘリで到着したCIA職員が「ゲバラを殺せ」という電文を受信。
 このシーンのずっと前の方に、大統領が、
「バティスタの最大の過ちは、カストロを生かしておいたことだ。」
と言うシーンがある。
 その「教訓」というわけである。
 「処刑」は銃殺刑で、「首より上は狙うな」という条件付きだった。
 2人の兵士が志願するが、そのうちの1人は、前のシーンで見張り役だったあの青年兵士だった。かなり躊躇した末の志願のように描かれている。
 最期の瞬間は、カメラがゲバラの視線になる。怯む兵士に「ちゃんと撃て」と言い、兵士に2度発砲されて下向きになり、焦点が定まらなくなってもう一度上を向いたときに、あの青年兵士の顔が目に入る。
 そこまでである。



 映画のラストは、ゲバラの遺体がヘリで運ばれていくところだ。
 飛び上がっていくヘリを無表情で見つめる農民達が印象的である。
 下を流れていくジャングルの木々の映像が、いつしかあのキューバに密告するときの船から見た海の映像になる。
 そこで、まだ髭も生やしていない、若きインテリの名残が残るゲバラの不安げな様子を映し出し、ぷっつりと映像は途切れる。
 そして、長い長いエンドロール。
 極が終わってしまっても、延々と続く。
 まるで、ゲバラが辿ってきた人生や、その思いの長さを表現しているからのようだ。



 ゲバラのボリビアでの戦いは、何故失敗したのだろうか。
 最大のキーは、国内に「不満」がたまっていなかったことだろう。
 炭坑夫達は過酷な労働と安い賃金で働かされているので、それに対して立ち上がったが、ボリビアの街のシーンを見る限り、軍事独裁政権下でもさほど人々が不平を抱いているようには感じられないように描かれていた。
 また、ゲバラがある村で、村人を集めて自分達への支援を呼びかけるための説得をするシーンがある。
 小さな子供が病気になっても、病院までは遠くて交通費もかかる。医者にかかれば勿論高い診療費がかかる。そんな金がない貧しい農民の子供は死んでしまう。そういう状況を変えるには、自分達が戦って勝利するしかない、と。
 しかし、そこで村人の1人がした唯一の質問は、
「村では戦闘はするのか?」
というものだった。
「自分達は関わりたくない。」という意識がありありと見えるのである。
 彼等には、独裁政権が自分達を搾取していることが見えていない。
 自分達が現場にいるのに、である。



 で、僕が今回感じたことは、「だから庶民は、いつまでたっても搾取されるのだ」ということである。
 どんなに苦しい状況でも、それを変えるには相当なエネルギーがいる。
「まあ、こんなもんか。」
と思ってしまえば、それで毎日何とかやり過ごせる。
 社会を変えることを考えるより、今日どうして生きるかを考える。それが庶民である。
 これは、今の日本で言えば「ロストジェネレーション」世代に象徴的に現れている。
 自分達が派遣切り等で酷い目に遭っているのは、為政者と財界がぐるになって彼等を搾取する制度を作り上げたことが原因である。にもかかわらず、彼等は「自分で選択した働き方だから、切られるのも、次が決まらないのも、図辺手自分のせいだ」思い込んで(思い込まされて)しまう。
 その結果、自傷行為にはしったり、秋葉原事件のように不特定多数に向かって暴発したりすることになる。
 挙げ句の果てには、搾取されている者同士、例えば正社員と派遣社員が対立したりすることになる。
 まさに支配者の思う壺だ。



 そして、やはり武装闘争にはその庶民からの精神的・物的な支援が必要不可欠である。
 そのことで、戦う側の士気も高まるし、行動範囲も広がる。
 戦う側だけ前のめりになり、民衆がついてこなくては、革命は成り立たない。
 前回、「革命には武装闘争が必要だ」と書いたが、その考えはこの映画を見ても変わらない。
 しかしやはり、それだけではダメなのである。
 何よりも、革命を欲する人民達のマグマのような怒りの力が必要だ。それを武装闘争がサポートし、具体的な行動に民衆を駆り立てるようにならなければならない。
 たった1人のカリスマでは、やはり革命はできないのである。



 調べて分かったことなのだが、ゲバラがキューバ出国を決意した直接の原因は、どうやらゲバラが国際会議でソ連の外交姿勢を批判したため、ソ連から「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ、物資の援助を減らす。」と通告されたことだったらしい。
 ボリビアでの軍事的敗北の影には、先に述べたようにアメリカの力があった。
 当時も、そして今も、大国は小国に対して大きな影響力を持ち、おのれの利益を守るためならどんな理不尽なこともやる。
 こうした世界の構造を変えるためには、「世界同時多発テロ」ではなく、「世界同時革命」が起こらなければならない。が、それは残念ながら今のところは空想の域を出ない。



 日本においても、また世界においても、労働者や農民と言った、被支配者による横の連帯は難しい。
 利害の対立が仕組まれているし、何より庶民は上からの圧力に弱い。
 今でも日本の農村などに行くと、例えば不要と思われるダム建設や、危険を伴うウラン再処理施設建設等でも「国が決めたことだから。」と、特段異議を唱えない風習が根強く残っている。
 国は国民のために働き、国民の幸福のために政策を行う、それを国民がチェックする、という当たり前の構造が理解されず、国(お上)から降りてくるものに庶民(国民)が従うという図式が、今でも生きているのだ。
 これは、独裁政権が続いているような国ほど顕著に見られる光景である。
 勿論、日本も広い意味では「自民党独裁」が続いている、まるで第三世界のような政治状況であることは、議論の余地はない。



 インテリ出身のゲバラは、勿論そのことを理解していたはずだ。
 だから、行く先々で医療行為を行い、民衆の支持を得ようとした。
 そして何よりもゲバラの偉大なところは、「革命に終わりはない」と知っていたことだろう。
 ソ連による圧力で首脳陣を退かざるを得なかったからといって、キューバにとどまって静かに暮らしていくこともできたはずだ。
 しかし、彼は他の虐げられた人々の救済に向かったのである。
 自分に得なことなど何もない、自ら進んで過酷な道を選んだのだ。
 そこには、『チェ 28歳の革命』で言われていた「愛」があっただろうし、「人間を信じている」という彼の信念があったのだろう。
 それが情熱となって、かれに安息の地を与えなかった。
 自分の利害と直接関係のない人間達のために戦った男。
 自らの信条と理想にどこまでも忠実に生きた男。
 それが、チェ・ゲバラだったのである。
 彼の功績は死後全世界で認められ、熱狂的な人気を誇ったこともあったという。
 今でも中南米ではカリスマ的存在だそうだ。
 彼のやったことは、誰もができることではない。しかし、彼はやった。
 だからこそ、後世に名を残し、多くの人々に影響を与えたのである。



 革命成功までの輝かしい軌跡を描いた前編と違い、後編は見ていて胸が苦しくなるような、切ない映画だった。
 しかし、人類史の中で、彼のような人間が存在したことは、今後も永遠に語り継がれよう。
 そして僕も、彼の思想・信条に共鳴する1人となった。



 僕は夢想する。
 関東山脈の山の中、奥多摩の奥深くの森の中、生駒山中、その他日本中のあらゆる山の中、そして山村に、何十人、何百人ものゲリラが潜むようになる日のことを。
 彼等はお互いに連絡を取り合い、各地の自衛隊の基地を奇襲攻撃する。
 また、山中で自衛隊との交戦を繰り返す。
 時には駐屯するアメリカ軍との交戦もあるかも知れない。
 東京・大阪・名古屋・福岡・札幌といった大都市では、労働者達が立ち上がり、デモをかけ、ゼネストを行う。
 そしてある日、ついに各地から合流した革命軍は首相官邸と国会議事堂を制圧し、首相はヘリで国外へ逃亡、経団連会長は拘束される。
 司令官であるリーダーが、民衆の喝采の中で、高らかに国民中心の「新政府」の樹立を宣言する…。



 おそらく、こんな光景は見られまい。
 特に若い世代には、どこのおとぎ話だろう、と思われているだろう。
 「エンピツ」サイトにおけるこの文章のアクセス数の極端な少なさが、彼等の無関心を物語っている。
 それが自らの首を絞める、危険な無関心だとも知らずに。
 しかし、「希望」を捨てなければ、まったく可能性がゼロとも言えないだろう。
 もし僕が目の黒いうちにこうした闘争が起こったならば、前戦では戦えなくても、何らかの援助を行ってサポートするだろう。
 それは金銭的なものかも知れないし、文筆によってかも知れない。
 その行為によって、公安に拘束されようとも、獄中で拷問を受けようとも、僕は決して後悔しないだろう。そして、自分の信念を曲げないだろう。
 かつて地球上に、人々のよりよい暮らしの実現を目指して戦い、ついに帰らなかった1人の男の存在を思い出せば、きっとどんな困難でも乗り越えられる。



 今年はキューバ革命から50年である。
 あれから半世紀を経て、時代はまた『蟹工船』に戻った。
 ならば、前にも書いたように、次はチェ・ゲバラの登場である。
 そして僕は、もう一度言う。
「希望は、革命。」だと。


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