思考過多の記録
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2009年02月26日(木) |
「おくりびと」と「つみきのいえ」に思うこと |
アカデミー賞に日本の作品が2本も入って話題になっている。 僕は残念ながら、「おくりびと」も「つみきのいえ」も見たことがない。「おくりびと」は予告編だけは何回か見ていたが、あまり興味を引かれるような映画ではないと思った。 ただ、題材は面白いな、と思った。 「つみきのいえ」に至っては、その存在すら知らなかった。 アニメ全般にアレルギーがあって、「ガンダム」や「エヴァ」以外では、あまり見ようと思わなかったのだ。
受賞後に両作品ともダイジェスト的にいくつかのシーンが紹介されているが、どちらも目の付け所というか、アイディアの勝利的な部分があると思う。 「おくりびと」では納棺師という、あまり、というか殆ど脚光を浴びることのなかった職業を取り上げ、その独特な所作の一つ一つに込められた死者への尊崇の念ともいうべきものを表現している、のだと思う。 それをきっちり表現したのが、役者・本木雅弘である。彼の演技一つで、何のメリハリもない退屈な映画か、そうではなく映像に様々なことを語らせる雄弁な映画かが分かれる。 また、こうした職業は、様々な「死」と出会い、向き合う。 その姿を通して、それぞれの死者の生前の生き様や、死者と遺族の関係性等を描くことが出来る。たぶん、そうなっているのだろう。
「つみきのいえ」も作りがうまい。 温暖化のために水没しつつある家を、上に継ぎ足し継ぎ足し増築しながら生きている1人の老人が主人公である。 この老人が下の階、すなわち水中に没したかつて使っていた部屋に入って行く度に、そこで起きた人生の一こまを思い浮かべるという構成は、なかなか巧みだ。 幾層にも重なった家は、すなわちその老人の人生の年輪を象徴し、また、それが水中にあるということが、もはや失われてしまって二度と戻ってこないという「思い出」というもののアレゴリーになっている。 また、それを引き立てているのが、加藤久仁生監督の鉛筆を使った柔らで優しいタッチの絵である。 12分間で台詞は一切なしだというが、これほど「人生」というものをコンパクトに、しかも的確に描いた作品も珍しいだろう。
要するに、二つの作品とも、着眼点の勝利と、それを支える役者の存在感や独自の世界を持つ絵のタッチの両方があって、初めて賞に選ばれるような作品になり得たのであろう。 映画とアニメーション、それぞれの特性を熟知し、活かしたことが大きい。 何も声高に叫ばないのに、いろいろなことを観客に伝えるヒントが、この二つの作品にはあるように思う。 翻って、演劇には何が出来るだろうか。 生の役者が、目の前でリアルタイムにあるものを表現していく、その特性を最大限に活かし、なおかつエンターテインメントにするにはどんな方法論があるのだろうか。 これまで多くの人達、例えば寺山修司や唐十郎、鈴木忠志、最近では平田オリザや安田雅弘といった人達によって試みられてきた演劇の方法論は、どこまで芸術の可能性を開いたであろうか。
そして僕は、これからどんな方法論でこの世界に切り込んでいけばいいのだろうか。
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