思考過多の記録
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先週土曜日(7日)から今週火曜日(10日)まで九州旅行をしてきた。 といっても、観光地を回るのが目的ではない。僕はもともと鉄道マニアだったが、徐々にその傾向も薄らいでいた。ただ、鉄道というものに対しては、一貫して関心を抱き続けていた。 そんな時、今年3月14日のJRグループのダイヤ改正で、東京口に最後まで残っていたブルートレイン「富士・はやぶさ」が廃止になるというニュースが飛び込んできた。
ブルートレインといえば、僕がマニアだった小学校高学年から中学生の頃にかけて一大ブームを巻き起こした。 当時はたくさんのブルートレインが走っていた。 東京口では下関行き、博多行きの「あさかぜ」2往復、鹿児島本線経由西鹿児島(現在の鹿児島中央)行きの「はやぶさ」、日豊本線経由西鹿児島行きの「富士」(当時、最も長距離を走る寝台特急だった)、山陰本線直通の出雲市行き「出雲」2往復、瀬戸大橋完成前の宇高連絡船経由で四国方面への足になっていた宇野行き「瀬戸」、長崎・佐世保行き「さくら」と併結された熊本行き「みずほ」、そして寝台急行「銀河」、これだけの列車があったのである。 上野口でも、常磐線経由青森行き「ゆうづる」数往復や金沢行き「北陸」、秋田行き「あけぼの」2往復があった。もう一つ、東北本線経由青森行き「はくつる」は電車寝台特急だったが、後に客車になった。 他にも、名古屋、新大阪、大阪から九州・東北方面を目指すブルートレインや寝台電車特急が多数運行されていた。 どの列車も10両を越える堂々たる編成で、前面にはヘッドマーク、最後尾にはテールマークを掲げて走っていた。 また、ブルートレインではないものの、寝台を連結した急行列車も多数運行されていた。 その雄姿をカメラに収めるのが、僕達マニアの「仕事」だった。 僕はよく朝早く起き、始発電車で上野や東京に行って、ホームで列車を待っては、ちゃちな安物カメラで写真を撮っていた。
東京や上野といったターミナル駅が混み始めたので、途中駅の横浜や新橋、また当時住んでいた常磐線の綾瀬駅から北千住方向に行ったところにある荒川鉄橋でカメラを構えるときもあった。 しかし、当時は暇はあっても金がない。 一眼レフなど買えるはずもなく、そうした高性能のカメラやレンズを使って撮った写真が紙面を飾る「鉄道ファン」などの雑誌をなけなしの小遣いで買い、読みふけった。 そして、いつかはこの憧れのブルートレインに乗りたい、ずっとそう思っていた。
上野からのブルートレインについては、当時はなかったものの、青函トンネルの開通と同時に、「ゆうづる」に代わって誕生した「北斗星」に僕は一昨年に乗車した。 夢がかなったわけである。 しかし、東京口のブルートレインにはなかなか乗る機会がなかった。 最大の理由は、新幹線の存在だ。西に行くには新幹線と相場が決まっていた。新幹線の運賃に比べて、寝台料金は高かった。 また、九州は単純に東京から遠く、なかなか腰が重かった。
しかし、そうこうするうちに、JRの発足とともに、利用率が低迷する寝台列車の整理が始まった。 東京口で見ても、まず「あさかぜ」が姿を消し、続いて「出雲」が1往復になった上、瀬戸大橋の開通に伴って行き先が高松に変更された「瀬戸」と併結する電車寝台「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」になった。車体はブルーではない。 そして、「さくら・みずほ」が姿を消し、「富士」と「はやぶさ」が編成を短縮して併結されるようになった。 さらに昨年、長い間走り続けてきた寝台急行「銀河」が廃止され、東京口のブルートレインは「富士・はやぶさ」だけになっていた。 それがついにこの14日で姿を消し、東京駅からブルートレインが消えることになった。 ずっと憧れて、写真を撮っていたあの頃を思い出す。 ブルーの車体を力強く引っ張る機関車の姿。輝くヘッドマーク。 その列車がなくなるのである。 何としても乗らなければ、と思った。
しかし、こういうことの常として、廃止が決まると切符が突然手に入りにくくなる。 僕は「ネットオークション」という裏業を使った。 そして、7日の東京発の「はやぶさ」のAデラックス寝台券と、9日大分発「富士」の寝台券を、ともに定価の5倍以上の値で落札して手に入れた。 勿論本位ではなかったが、とにかく券が欲しかった。もう二度と乗れないことを考えれば、手に入れることが最優先だった。 もともと僕は、昨年12月の改正で、この列車がなくなるのではないかと思っていた。だから、まだリハビリ出社をする前の10月頃に、この列車に乗る計画を立てていたのだ。 しかし、なかなか踏ん切りがつかず、そのうちにリハビリ出社が始まり、さらに12月の改正でこの列車は生き延びた。 そんなこともあって、僕の計画は頓挫した形になっていたのだ。 あの頃なら、容易に切符を手に入れることもできただろう。しかし、そんなことを今更言ってみても始まらない。 それに、普段の列車もいいが、こういうちょっとしたイベント気分の時に乗るのも決して悪くはない、そう思って決断した。
旅の様子は別のブログに書いたので、そちらを参照してほしい。
「息吹肇の革命前夜」 http://ameblo.jp/fbi-kk/
今回僕が改めて発見したのは、ブログにも書いたが、列車に揺られているとそれだけで精神的にとても落ち着くと言いことだった。 列車といっても、普段使っているような通勤電車ではダメだ。 通勤電車は日常を運んでいる。頻繁に止まり、人がわさわと動く。デッキもないので外界と直結している。とても落ち着ける空間ではない。 ここでいう「列車」とは、長距離を走る、いってみれば自分を日常から遠ざけてくれる、旅に出る列車だ。 ことに、夜行列車のそれは最高のものだ。 ガタンゴトンという規則正しいレールの響きは、頭の中の余計なものを一切取り払ってくれる。
夜行列車、特に客車列車の、それも個室になると、その響きが防音設備の関係もあるのか、こもったような音になり、耳に心地よい。 使い古された比喩であるが、僕達がまだ母親の胎内にいる頃、羊水の中で聞こえていた母親の心音に似ているからなのかも知れない。 どんな精神安定剤よりも、僕の尖った心を沈静化させ、安らかな世界へと導いてくれた。 暗い夜の闇の中を、時折流れていく通過駅の灯りや、遠くに見える街の灯りや道路を走る車のヘッドライトが照らし出す。そしてまた、闇に戻る。 何度も書くが、本当に落ち着ける空間だ。 もう小沢も麻生もどうだっていいというか、そもそも何も浮かんでこない。 20年以上前、僕が電車寝台の「ゆうづる」で北海道に向かったとき、3段寝台の中断の狭い空間で、僕は夜行等の下、処女戯曲を書いた。 しかし今回、僕は列車の中で脚本の構想を練れなかった。本当はそれを使用と思ってノートを持って行ったのだが、どうしてもそういうモードにならなかったのだ。 僕がしたのは、ブログの更新と島田雅彦の小説「エトロフの恋」を読んだこと、そして音楽を少しだけ聴いたことだった。 それ以外の時間は、ただただ列車の振動とレールの響きに身を任せていた。
何故寝台列車は消えていくのか。 いろいろと理由が考えられるが、効率重視の世の中になり、また新幹線網が拡大し、飛行機もごく普通に乗れるようになった現在、わざわざ寝る時間を移動時間に充てなくても、目的地に早く、しかも格安で到達できるようになったのが大きいと思う。 また、夜間高速バスの影響も大きい。 典型的なのが「あさかぜ」だ。この列車は、新幹線の最終より遅く東京を出て、新幹線の始発より早く博多に着くのが売りだった。しかし、「のぞみ」の登場でその価値が消えてしまった。 スピードを要求される現代にあって、寝台列車はもはや前世紀の遺物になってしまった感がある。 今や寝台列車は、一部の愛好家のためのもの、いってみれば「豪華客船クルーズ」のようなものになってしまったのだ。当然、需要は限られる。しかし、夜行を運転するには運転手や保守・点検の人員等、経費・人件費がかかる。となれば、民営化したJRにとってはお荷物だ。 今後、寝台列車は「シベリア鉄道」化していくしかないのだろうか。
しかし、僕にとっては夜行列車は精神の安寧をもたらしてくれる貴重な存在だ。日常を忘れ、ストレスも感じなくて済む、心のオアシスである。 僕は新たな目標を立てた。 今日本には、寝台列車は急行も含めて7種類の寝台列車が走っている(客車列車の本数。電車寝台はまだ急行「きたぐに」等がある)。 その全てに乗ろうと思う。 どの列車も、使用している客車が老朽化してきており(豪華列車「カシオペア」は比較的新しいが)、需要も限られている中、いつ廃止になってもおかしくない。 だから、できるだけ早く、全ての列車を体験したいと思う。 まずは、今日本で一番長距離を走る寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪〜札幌)に乗ろうと考えている。この列車は定期列車ではないようなので、よく運転時期を調べていきたい。
鉄道に人が郷愁を感じるのは、それが「人生」に似ているからではないだろうか。 誕生という「始発駅」を出発し、いろいろな分岐点を経て、いろいろな列車を併結し、また分離しながら進む。さまざまな景色の中を走り抜けた列車は、やがて人生の「終着駅」にゆっくりと滑り込む。そこから先にレールはない。 人生という列車のダイヤグラム(列車運行表)を僕達は知らない。しかし、確実にそれは存在している。それを「運命」と呼ぶ人もいる。 駅は人生の節目節目になぞらえられるだろう。 そう考えていくと、鉄道とは人生そのものであり、だからこそ僕達は、飛行機にも船にもバスにも感じない何かを、鉄道の旅から感じ取るのではないだろうか。 寝台列車は、それを最もよく表しているものだと思う。 普通、人生の始まりを夜明けに例え、終わりを日没に例えるが、寝台列車はその逆を行く。人生の終わりに近付くに従って、次第に夜が明けていく。 素晴らしいことではないだろうか。
時代が移り、スピードが今以上に求められることになっても、鉄道の役割は終わらない。 それは単に効率的に大量輸送ができるエコな乗り物だからというだけではない。 いつでも、人間の中には列車が走っている。 闇夜に汽笛を響かせ、規則正しくレールのリズムを刻みながら。
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