思考過多の記録
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「妖怪がヨーロッパに出没する。共産主義という妖怪が。」 この有名なフレーズで始まるカール・マルクスの『共産党宣言』を、僕は十数年前に読んだ。太田出版から新訳が出たときである。 僕は読みながらとても興奮した。 当時は、所謂「失われた10年」の最中であり、時代は今とは違った意味で閉塞感が漂っていた。今、ワーキングプア、ハウジングプアと呼ばれる状態になっている世代が就職氷河期に直面していた時である。
読み進むうちに、この書物は1848年に発表されたのだけれど、まさに現代そのものを語っていると思った。そして、最後のフレーズに、僕は身震いがした。
「共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。共産主義者は、かれらの目的が、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってしか達成され得ないことを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命の前に慄くがいい。プロレタリアには、革命において鉄鎖のほかに失うものは何もない。かれらには獲得すべき全世界がある。
全世界のプロレタリア、団結せよ!」 (金塚貞文訳)
僕が前に書いた、「革命には武装闘争は必要」ということの根拠はここにあったのだ。 そして、『蟹工船』でも述べられていたように、労働者が動かなければ資本家の利益は生まれないのだ。
それはさておき、この『共産党宣言』のくだりのすぐ前に、こういう文章がある。
「共産主義者はどこにおいても、すべての国の民主主義政党との連携と強調に努力する。」
もともとこの文があるのは、最終章である「第4章 種々の反対党に対する共産主義者の立場」という部分である。 そこで、今僕は日本共産党のことを考えている。 今回の小沢民主党代表の「不正」献金疑惑が報じられたとき、多くのメディア(朝日新聞とNHKを除く。このことについては稿を改めたい)は「何故この時期に?」と懐疑的な報道をした。 また、国会内では、自民・公明の与党は当然「真相究明を」と言ったが、特に自民党は自分の政党の人間の名前も取りざたされていたため、トーンが低かった。また、野党共闘を組む社民党、国民新党は「よく説明を」「検察の意図が感じられる」と、どちらかといえば民主党に同情的だった。 これに対して、同じ野党である共産党は何と言ったか。 「自民党も民主党も根っこは同じであると分かった。」と厳しい口調で小沢氏と民主党の対応を批判したのであった。
今回のことに限らない。 共産党は、政府・与党の批判はもちろんするが、野党第一党である民主党の批判もよくするのである。記者会見や街頭演説などで、必ずといっていいほど民主党批判にも時間を割く。 2大政党制の中に埋もれてしまうのを避けたい気持ちは分かる。 しかし、「ねじれ国会」の中でも、他の野党は結束しているのに、共産党だけ「我が道を行く」場面が多くみられる。例えば、他の野党が与党の対応を批判して委員会の採決を欠席しても、共産党だけは出席して反対する、という具合だ。 政権交代に邁進する民主党にしてみれば、後ろから鉄砲を撃たれるようなものだ。 要するに、「自分たちだけが正義だ」と信じているのである。 だから、自民党も民主党も、「悪事」を働けば同じように糾弾する。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。 前にも述べたし、メディアでも言われているが、今回の「小沢疑惑」はそのタイミングといい中身といい、極めて「政治色」が強い捜査である。そのあたりへの言及がまるでなく、ただ正義を振りかざし、「原則論」のみを述べ立てる。 そのことで、民主党への風当たりが強くなったり、国民の間に失望感が生み出されたりしこそすれ、対する与党・自民党へのダメージは弱く、また当の共産党に対しての評価が上がるわけでもない。 つまり共産党は、「政治をよくしよう」という本来の意図とは無関係に、むしろ自民党を助けていることになるのだ。 結果的に日本共産党は、公明党に続く自民党の第2の別働隊として働いていることになるのである。 よく地方の選挙などでも、他の野党が統一候補を出しているのに、共産党が独自候補を立て、結果的に保守系候補が当選してしまうことがある。それも同じことだ。
日本共産党は一体何をしようとしているのだろうか。 他のすべての政党を批判し、自分達の正しさを訴える割には、その「正しい」政策を実現しようとする素振りも見せない。 本気で自分達の政策が正しいと信じ、それを実現しようと考えているのなら、ある部分妥協をしてでも他党と組み、まずは目前の敵である自民・公明両党を政権の座から引きずり下ろす。 そして他党と連立政権を組み、その中で自分達の政策を国政に反映させていけばいい。 たとえ10の政策すべてがパーフェクトに実現できなくても、3の政策が少し修正されて法制化されるだけで、この国は少しは変わる。 何もしなければ、何も変わらない。
この間の共産党を見ていると、自分達の政策なんてどうでもいいと思っているとしか思えない行動が多い。 例えば、前回の選挙の時の共産党のスローガンは、「確かな野党を」だった。 民主党を意識したスローガンだが、あれを見た国民の多くは、「ああ、共産党は野党のままでいいと思ってるんだ」「政権を取る気がないんだ」と思ったに違いない。 実際、前回の選挙で共産党の票は伸びなかった。 「2大政党制の中で、私達の訴えが受け入れられなかった」 と確か志位委員長は総括していた。 しかし、それは間違いだ。正しいことを言っていれば受け入れられ、自分の政党が単独過半数を得られる筈、というのは学生運動の論理である。 共産党が受け入れられない理由、それはまさに共産党自身が批判していたブッシュ政権時代のアメリカさながらのその単独行動主義であり、鼻につく「正しい主張」である。 「左翼小児病」という言葉があるが、これは日本共産党のためにあるようなものだ。 政治は学校の生徒会活動ではないのである。
僕は、共産党の主張や掲げている政策の「正しさ」を否定しない。 ただ、問題点を指摘するだけでなく、具体的に行動して国政をちゃんと動かしてほしいのである。そのための行動計画を国民に明らかにしてほしい。 そして、「自分達だけが正しい」という思想を捨ててほしい。 今の共産党は、日本を悪い方向へと導く力に手を貸しているのと同じだ。 そんな政党は僕達には必要ない。むしろ害悪だ。 とても彼らの下に団結することなどできない。
だから僕は、敢えて宣言しよう。 僕は「反共産党」主義者だ、と。
真に暮らしやすい国をつくるための仕事を真面目にこなす、そのためには、ときには清濁併せ呑むことも辞さない、そんな政党を僕は、そして多くの国民は強く求めている。
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